上杉三郎景虎
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九月の初め、吾妻を攻めた北条陸奥守(氏照)が廐橋城主の北条丹後守の父親、安芸入道芳林と共に越後に進撃して行った。その頃、越後では形だけの和睦が破れ、各地で戦が再開していた。 先発していた北条安房守(氏邦)は樺沢城(塩沢町)を攻め落とし、喜平次の本拠地ともいえる坂戸城(六日町)を攻めていた。安房守と共に出陣した北条丹後守は本拠地の北条城(柏崎市)に戻って、兵を引き連れ、三郎景虎を助けるため御館に向かっていた。 陸奥守は九月の半ばには安房守と合流し、坂戸城に猛攻を加えた。喜平次景勝は信濃飯山城にいた武田左馬助に救援を頼み、武田軍は千曲川沿いに越後に侵入し、坂戸城に向かった。北条軍の包囲をかい潜って坂戸城に入った武田軍は、喜平次の命によって坂戸城を受け取り、北条軍と対峙した。坂戸城には上野の人質たちがいて、それらは皆、武田の手に移った。その中には、真田軍に敵対している尻高氏、中山氏の人質も沼田衆の人質もいた。 北条軍と武田軍が越後で戦っている頃、吾妻ではじっと我慢の守勢が続いていた。八幡山城、中之条古城を奪い取った後、北条軍は吾妻に攻めては来なかった。三郎右衛門は寄居城を守りながら、沼田で殺された月陰党の者たちの事を考えていた。 ムツキは月陰砦の一期生で、柏原城攻めの時、キサラギたちと狐火になって活躍してくれた。素顔は滅多に見られなかったが、背がすらっとしていて笑顔の可愛い娘だった。 ヤヨイ、ウヅキ、雲月坊、残月坊は二期生だった。ヤヨイとウヅキは御寮人様が草津に来られた時、仲居に扮して御寮人様たちを守ってくれた。ヤヨイは色っぽい娘で、踊りもうまかったらしい。ウヅキは雪のような白い肌をした小柄な娘で、琴がうまかったらしい。雲月坊、残月坊は去年、砦を下りた時、一度、会っただけだった。一年間、行願坊と各地を旅をした後、すぐに沼田に行ったらしい。残念ながら、二人の顔を思い出す事ができなかった。湯本家のために死んで行ったというのに、顔も覚えていないなんて自分が情けなかった。 玉川坊、東蓮坊、円実坊は古くから東光坊の配下として働いていた。玉川坊と円実坊は長篠の合戦の時、向こうの様子を知らせてくれたし、東蓮坊は長篠の合戦の以前から沼田にいて敵の動きを探っていた。 さらに、白井城下にいた随勝坊、廐橋城下にいた妙心坊も殺されていた。二人とも十年近くも城下に住み込んで、敵の情報を集めていた。 お頭である東光坊が越後に行っている留守に十人も殺されてしまった。戦だから仕方がないというが、危険を感じながら引き上げさせなかったムツキたちの事はいつまでも悔やまれた。決して、彼らの死を無駄にしてはならないと肝に銘じていた。 十月の半ば、三郎右衛門は矢沢三十郎、植栗河内守と共に岩櫃城に呼ばれた。すでに、中城にある真田屋敷は完成していた。喜兵衛は主立った武将たちを新しい広間に集め、ニヤニヤしながら一同を見まわした。 「北条軍が越後から戻って来た」と喜兵衛は言った。 「なに、逃げ戻って来たのか」と海野長門守が驚いて聞き返した。 「そうではない。雪に閉じ込められる前に引き上げて来たのだろう」 「成程、北条軍は雪に弱いとみえる」長門守は白い顎髭を撫でながら、うなづいた。 「陸奥守と安房守は兵を率いて、ひとまず沼田の倉内城に入った。この後、どうなるかが問題だ。北条軍が今後も上野に残れば、今の状態が春まで続く事になる。北条軍が引き上げれば、ようやく攻撃に移る事ができる。中之条の古城、横尾の八幡山城は勿論の事、柏原、尻高、中山、そして、沼田と白井を奪い取らなければならない。その覚悟でいてもらいたい」 皆、顔を引き締め、喜兵衛の話を聞いていた。その中に、まだ十五歳の鎌原孫次郎がいた。父親の筑前守を長篠の合戦で亡くし、十二歳で家督を継いだが、まだ若すぎると祖父の宮内少輔が代わりに出陣していた。しかし、その祖父も八幡山の合戦で戦死してしまった。祖父と亡くなった家臣たちの仇を討たなければならないと孫次郎は唇を噛み締め、力強く、うなづいていた。 越後に進撃した北条軍は結局、武田左馬助が守る坂戸城を落とす事はできなかった。人質たちを奪い返せと必死に攻めたが、坂戸城の守りは堅かった。やがて、雪がちらつく季節となった。雪の少ない土地で育った兵たちは大雪を恐れ、士気も低下した。北条軍は城攻めを諦め、樺沢城に撤退した。まごまごしていると三国峠が雪で塞がれて帰れなくなってしまう。陸奥守と安房守は弟の四郎と北条安芸入道に五百の兵をつけて残し、必ず、春まで待ちこたえよと命じて引き上げて来た。 倉内城に入った陸奥守と安房守は兵を休ませた後、共に越後から引き上げて来た河田伯耆守を残して、お屋形様のいる廐橋城へ向かった。倉内城には治部少輔が二千の兵と共に守っていて、焼け落ちた城の普請に精出していた。廐橋城に入った陸奥守と安房守は、お屋形様の相模守(氏政)と軍議を重ね、左衛門佐(氏忠)を沼田に、治部少輔(氏秀)を廐橋に残し、他の者はひとまず、本拠地に帰す事に決めた。 十一月の初め、冷たい北風の吹く中、北条の大軍は上野から引き上げて行った。倉内城には左衛門佐の兵五百と沼田衆五百が残り、白井城には北条軍は入らず、長尾一井斎に任せ、以前のごとく兵力は五百余り、廐橋城には治部少輔の兵一千が残った。 喜兵衛は北条軍の撤退を聞くと、しばらく様子を見てから、最低限の守備兵を残して、それぞれ帰還させた。馬場民部少輔も原隼人佑も兵を引き連れて帰って行った。 「喜兵衛殿も帰られるのですか」と三郎右衛門が聞くと、 「俺が引き上げない事には鉢形の連中も枕を高くして眠れまい」と笑った。 三郎右衛門はうなづいた。「安房守は兵備を解かずに、鉢形から吾妻を睨んでいるようです」 「敵も本音は休みたいのさ。春が来るまでゆっくりと休ませてやろうじゃないか」 「冬眠してもらいましょう」と三郎右衛門も笑った。 喜兵衛は守備状況の確認をすると後の事を城代の海野兄弟に任せ、真田へ帰って行った。三郎右衛門も寄居城を左京進に任せ、長野原に引き上げた。 上杉謙信の関東出陣騒ぎから始まって、およそ一年、戦陣にいた事になる。敵の大軍に囲まれただけで、戦らしい戦はなかったが、疲れた一年だった。しかし、まだ、終わってはいない。これからが本当の戦になるだろう。北条が完全に軍備を解いた時、喜兵衛は動くに違いないと三郎右衛門は確信していた。一万余りの兵を五ケ月間も遠征させた北条軍も疲労しているに違いない。一度、軍備を解いたら、一万の兵を集めるのは容易な事ではない。また、甲府に帰った武田のお屋形様が駿河から伊豆に進攻すれば、北条としても上野に兵を集める事はできなくなる。喜兵衛はその隙を利用して沼田を攻略するに違いなかった。 久し振りに二人の子供と過ごした三郎右衛門は翌日、小雪のちらつく中、白根山中にある月陰砦を訪ねた。すでに草津も雪に埋もれ、ひっそりと静まり返っていた。飄雲庵の前を通った時、ふと人の気配を感じ、覗いてみると赤々と燃えた囲炉裏の前に里々が座っていた。 三郎右衛門は驚き、「こんな所で何をしている」と聞いた。 暖かそうな綿入れを着込んだ里々は頭を下げると、「お屋形様をお待ちしておりました」と楽しそうに笑った。 「俺を待っていた?」 「はい」 「俺は誰にも行き先を告げずに出て来た。誰かが後をつけて来たと言うのか」 三郎右衛門は後ろを振り返って見た。雪景色の中、湯の川が煙を上げて流れているだけで、人影は見当たらなかった。 「多分、サツキかミナヅキがお屋形様を守るためについて来ているとは思いますが、二人にはまだ会ってはおりません。お屋形様が長野原に戻ったと昨夜、サツキから知らせが入りました。それで、今日、必ず、砦に行くだろうと思い、お待ちしておりました」 「俺が砦に行くとよくわかったな」 「砦には亡くなった者たちが眠っておりますから」 「うむ。墓参りが遅くなってしまった」 「申し訳ございませんでした」里々はかすれたような声で言って、力なくうなだれた。 「お前が謝る事はない」 「しかし、ムツキたちを死なせてしまったのは‥‥‥」そこから先は涙で声にならなかった。 「お前のせいではない。月陰党は俺の指揮下にある。責任を取るのは俺だ」 「お屋形様‥‥‥申し訳ございません」 「もういい。行くぞ」 里々はうなづくと涙を拭いて、囲炉裏の火に灰を掛けた。 ふと三郎右衛門が振り返ると雪の中に若い娘が控えていた。 「お前がサツキか」と聞くと、 「いいえ、ミナヅキでございます」と娘は答えた。 娘は白装束だった。頭に被っていたと思われる白い頭巾を左手で持ち、腰に差した小太刀も白鞘で白柄だった。 「陰ながら俺を守ってくれたのか。ありがとう」 「お屋形様、よろしくお願いいたします」とミナヅキは頭を下げた。 「うむ、こちらこそな」 ミナヅキは今年の五月の末、山を下りた娘で、会うのは初めてだった。優しそうな顔をした美人だった。サツキと一緒に金太夫の宿屋で仲居を勤めていたというのは里々から聞いていた。 「冬住みになってから、ミナヅキは長野原城下の『 「万屋? 何だそれは」 「名前の通り、あらゆる物を売っているお店でございます。お屋形の女中になってしまうと自由に出入りができませんので、娘たちをその店で働かせる事にしたのでございます」 「成程」 「双寿坊様にお店の主人になっていただき、円月坊、サツキ、ミナヅキ、フミツキの四人が働いております」 「月陰党の拠点にするのだな」 「はい。行商人として各地を旅する事もできます。やがては『小野屋』さんのように出店を増やす事もできるかと思います」 「うむ、いい考えだ。売っている物は小野屋から仕入れたのか」 「仕入れた物もございます。お屋形様には申し上げにくいのですが、大方は盗品なのでございます」 「敵から奪い取った物か」 「申し訳ございません」 「仕方がないだろう。ただ、盗品を扱っている事を気づかれんようにな」 「はい。かしこまってございます」 三郎右衛門は里々とミナヅキと共に月陰砦に向かった。 いい天気だった。雪はまぶしく、新雪を踏み締めながら山を登っているうちに汗がにじみ出て来る程だった。 雪に埋もれた砦では若い者たちが厳しい修行に励んでいた。娘たちを鍛えているキサラギの姿もあった。泥だらけの稽古着を着て真剣な顔付きで小太刀を教えている。顔は輝き、生き生きとしていた。キサラギが生きていてよかったと三郎右衛門はしみじみと思っていた。 「一年目の娘たちはキサラギに任せております」と里々が言った。 「そうか、一年目の者と二年目の者は修行内容が違うから師範が二人必要なのだな」 「はい。キサラギのお陰で助かっております。このまま師範代にしてもよろしいでしょうか」 「砦の事はお前たちに任せるよ」 「ありがとうございます」 墓は砦の裏の日当たりのいい丘の上にあった。三郎右衛門は亡くなった十人の墓、一つ一つに両手を合わせて冥福を祈った。 十一月の末、富沢豊前守が鎌原孫次郎と共に横尾八幡山城を攻めて、敗れるという事件が起こった。豊前守は北条軍に攻められた時、八幡山城を守っていて、戦死した者たちのために、何としてでも城を奪い返そうと隙を窺っていた。北条軍が去り、八幡山城には尻高三河守の兵が百人いるだけだった。今なら、奪い返せると孫次郎と仲間たちを誘って攻めてはみたが成功しなかった。 勝手な行動を取ったと海野兄弟は怒り、真田喜兵衛に知らせた。喜兵衛はすぐに二百の兵を率いて、雪の鳥居峠を越えて岩櫃城にやって来た。三郎右衛門も呼ばれて岩櫃城に向かった。 「敵の動きはどうだ」と喜兵衛は海野兄弟に聞いた。 「沼田、白井、廐橋、鉢形も動く気配はまったくござらん」と相変わらず不機嫌な顔をして長門守は答えた。 「うむ。丁度よかったのかもしれん。何もしないでいると返って怪しまれる。八幡山を攻められたが見事に追い返したと聞けば、北条も安心するだろう。春までは大丈夫だと気を抜くに違いない。今年中に、何としても古城と八幡山は奪い返すぞ」 そう言って喜兵衛は絵地図を眺めながら、能登守から今の状況を詳しく聞いた。 八幡山城の状況は以前と変わらず、尻高三河守の家老、塩原源太左衛門が百人の兵と共に守っている。中之条の古城は三河守の弟、摂津守がやはり百人を率いて守っていた。 「北条が動く以前に落とさなければならない。それには奇襲攻撃しかない。ほぼ同時期に、一瞬のうちに両方を落とす。それには充分に敵の動きを探り、敵が安心しきっている時を選ばなければならない。敵の忍びがあらゆる所にいると思って、慎重に行動してもらいたい」 古城攻撃の大将には池田甚次郎、八幡山城攻撃の大将には富沢豊前守が命じられた。さらに、柏原城も奪い返すため、植栗河内守が大将に任じられ、湯本勢はその指揮下に入る事になった。 敵に怪しまれないため、軍議が終わると何事もなかったかのように、それぞれ本拠地に戻った。三郎右衛門は五十人の兵と共に寄居城に入り、左京進たちと交替した。 三郎右衛門は月陰党の者たちを使って敵情を探ろうとしたが、わしらに任せてくれと植栗河内守に言われた。 「そなたは前回、見事に柏原城を落とし、手柄を挙げた。今回はわしらに手柄を挙げさせてくれ」 大将である河内守にそう言われ、三郎右衛門はうなづかないわけには行かなかった。 十二月八日、左京進がやって来た。交替するにはまだ早い。何事だと聞くと、 「お屋形様の母上がお倒れになられた。すぐに戻った方がいい」と言う。 「母上が?」 「小雨におられる実の母上だ」 「しかし‥‥‥」と言いながらも三郎右衛門は母親の心配をした。この前、会ったのは小三郎が生まれた時だった。あの時は、いつもと変わらなかった。あれ以来、会ってはいない。一体、どうしたんだろうと三郎右衛門は考えたが、悪い事ばかりが頭に浮かび、そんな事はないと振り払った。 「今は戦の最中ではない。俺がここに残るから早く行ってやれ」と左京進が言っていた。 「そうか。すまんな」 三郎右衛門は小雨村へと馬を走らせた。馬に揺られながら、死について考えていた。死はいつも突然やって来た。実父も義父も戦に出掛けたまま帰っては来なかった。ムツキたちは沼田に行ったまま帰って来ない。上杉謙信は突然、病死し、武田信玄も上洛を目の前にして病死した。死は誰にでも突然、訪れる。一寸先の事は誰にもわからない。生まれたばかりなのに亡くなってしまう者もいるし、幻庵のように八十過ぎまで生きている者もいる。持って生まれた運命と言えばそれまでだが、母親の寿命が尽きるとは思いたくはなかった。まだ早すぎる。もう少し長生きしてくれ。孝行らしい事を何もしていないのに死んでは困る。絶対に死なないでくれと思い浮かぶ神々に祈っていた。 寄居城の辺りは大した事なかったのに、こちらの方はかなりの雪が降ったとみえて、小雨村はすっかり雪に埋まっていた。お屋形の軒下には大きな氷柱が風に吹かれて斜めになっている。門番に馬を預けると三郎右衛門はお屋形の中へ駈け込んだ。 母親は青白い顔をして横になっていた。火鉢がいくつも置いてあって部屋の中は暖かい。枕元に祖母、妻のお松、末の妹のおみつ、金太夫と叔父の成就院が見守っていた。三郎右衛門の顔を見ると成就院は大丈夫だというようにうなづいてみせた。 「母上」と三郎右衛門は声を掛けた。 返事はなかったが、母親は目を開けて三郎右衛門を見つめた。微かに笑ったような気がした。そして、すぐにまた目を閉じた。 「大丈夫じゃ。ゆっくり休めば元気になる」 成就院はそう言って目配せした。三郎右衛門はうなづき、成就院と一緒に母親の枕元を離れた。囲炉裏の間に行き、冷えきった手を火にかざしながら成就院が話すのを待った。 「今朝、廊下で突然、倒れたらしい。わしが来た時は唸っていたが、薬を飲ませたら、ようやく落ち着いた。金太夫を助けるために慣れない宿屋を手伝って疲れが出たんじゃろう。大丈夫じゃよ」 「そうですか、安心しました」 三郎右衛門はほっと溜め息をつき、心の中で神々に感謝していた。 久し振りに妻子と共に小雨のお屋形に泊まった。母親は翌日も横になっていた。三日めには顔色もよくなり、軽い食事が取れるようになった。もう大丈夫だろうと後の事を妻に任せ、長野原に戻った。元気になったら小四郎とおしほのいる真田へ連れて行ってやろうと思っていた。 十二月二十日、三郎右衛門は喜兵衛に呼ばれて岩櫃城に向かった。主立った武将たちが真田屋敷の広間に集められた。いよいよ、奇襲が始まるのかと思ったら、喜兵衛はありきたりの挨拶をしただけで解散となった。そして、喜兵衛は矢沢薩摩守の次男、源次郎に五十人の兵をつけて岩櫃に残し、その他の兵を引き連れて真田へ帰って行った。 三郎右衛門は喜兵衛を見送った後、二の丸屋敷にいる海野能登守を訪ねた。 「一体、どうなっているんです。喜兵衛殿は真田に帰ってしまいましたよ」 「まあ、落ち着け。久し振りにお茶でも進ぜよう」 能登守は三郎右衛門を茶室に誘うと、のんきな顔して湯を沸かし始めた。 「敵を欺くにはまず味方からというじゃろう。例の事は着実に進んでいる」 「そうですか。今回、わたしは蚊帳の外というわけですね」 「敵に悟られないためじゃ。部外者が顔を出すと敵に怪しまれる」 「確かにそうかもしれませんが‥‥‥」 「物足らんようじゃな」と能登守は三郎右衛門の顔を眺めながら笑った。 「そんな事はありません」 「みんな、うずうずしてるんじゃよ。長い事、動けなかったからのう。北条との戦いはまだ始まったばかりじゃ。そなたの出番も必ず来る。今回は黙って見守っていてくれ」 「わかりました‥‥‥ただ、今回の敵、尻高三河守とはどんな男なのか教えていただけませんか。能登守殿はご存じなのでしょう」 能登守は驚いたような顔をして三郎右衛門を見つめ、「そうか、そなたは知らんのか」と言ってから、「そうじゃろうの」と何度もうなづき、庭の方を眺めた。 処々に雪を被っている庭園はそれなりに見事な眺めだった。 「この岩櫃城が落ちてから、もう十五年じゃ。そなたが知らんのも無理はない。中之条古城も八幡山城も元々は尻高氏の城だったんじゃよ。尻高氏も中山氏も岩櫃にいた斎藤越前守の一族でな、一徳斎殿が岩櫃城を攻めた時からずっと敵対して来たんじゃ。岩櫃が落ち、斎藤氏が滅びた後は上杉謙信に従った。元亀元年(一五七〇年)、武田信玄殿の上野進攻によって、尻高三河守は降伏し、本領を安堵され、次男の源次郎を人質として差し出したんじゃ。しかし、その後すぐに上杉謙信が沼田に出て来ると三河守はまた上杉に寝返った。そして今度は三男の源三郎を人質として謙信に差し出した。尻高は岩櫃と沼田のほぼ中間に位置する。土地を守るためには何度も寝返るしかなかったんじゃよ。三河守には三人の伜がいてな、長男の左馬助はわしの教え子じゃった」 能登守は木箱から大事そうに高価な 「その左馬助というのは尻高にいるのですか」 「ああ。跡継ぎじゃからな」 「武田の人質となった源次郎はまだ生きているのですか」 「甲府にいるはずじゃよ。それと娘が一人いて、白井に嫁いだと聞いている。これも人質のようなものじゃな」 能登守は天目茶碗を裏返して底を眺め、また元にもどして茶碗の中を覗き、幸せそうな顔をして、うなづいていた。 「尻高氏の八幡山城と古城が武田の城となったのは、信玄殿が攻めて来た時なのですか」 「いや、そうじゃない。その時はまだ尻高氏の物じゃった。元亀三年の八月、信玄殿の上洛作戦に同調するように、一徳斎殿の白井城の総攻撃が始まった。白井城は落城し、三河守はまた武田に降伏した。その時、八幡山城と古城は奪われ、武田方の城となったんじゃよ」 「その戦なら、わたしも参加しました。わたしの初陣でした」 「そうか。その時からじゃよ。翌年、謙信が白井城を奪い返すと三河守はまた上杉に寝返ったが、八幡山城と古城は武田方に奪われたままじゃった。ようやく、六年振りに北条の助けを借りて取り戻す事ができたというわけじゃ。しかし、まもなく、落ちる事となろう」 黙って見ていろと言われても三郎右衛門にはできなかった。城内の屋敷に帰ると城下にいる仙遊坊と徳泉坊を呼んだ。二人を古城と八幡山城に送り、何が起こるのか見届けるよう命じると、翌日、長野原に戻った。 今年もまもなく終わるという二十七日の夜、中之条古城の攻撃が始まった。雪の降る中、池田甚次郎率いる吾妻勢三百は敵に気づかれる事なく城を包囲し、猛攻を加えた。不意を突かれた城兵は慌てふためき、混乱状態となり、火の手が上がると我先にと逃げ出した。敵の大将、尻高摂津守は尻高城を目指して逃げたが、途中で力尽き、自害して果て、伜の庄次郎は何とか白井城まで逃げ延びた。 翌早朝、八幡山城の攻撃が行なわれ、こちらも不意を突かれた城兵は反撃もそこそこに逃げ出した。大将の塩原源太左衛門、弟の源五郎は討ち死にし、鎌原孫次郎は兜首を取る活躍をして初陣を飾った。 年が明け、喜兵衛が真田の兵を率いて岩櫃城に入った。吾妻衆は皆、岩櫃城に集まり、新年の挨拶もそこそこに北条に対する守りを固め、尻高氏を倒すべく、八日には五百の兵が尻高へ向けて進撃した。尻高城には古城、八幡山城から逃げ戻った兵も含め、二百余りの兵が守っていた。敵も必死になって応戦したが、沼田からの援軍も間に合わず、尻高城は落城した。三河守は白井へ逃げ、嫡男の左馬助は猿ケ京の宮野城へと逃げ去った。 三郎右衛門は寄居城にいて、月陰党の者から戦況を聞き、うまく行った事を喜んだ。心の中では自分の出番がないのを悔しがった。 その頃、甲府ではお菊御寮人様が越後の喜平次景勝に嫁ぐ事が決まっていた。
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尻高城が落城すると北条氏も黙ってはいられなくなり、正月の半ばには上野に出陣して来た。鉢形の北条安房守が一千の兵を引き連れ、沼田の倉内城に入り、河越の大道寺駿河守が五百の兵を率いて廐橋城に入った。 柏原城には白井からの援軍が加わり、攻め落とす機を逸してしまった。植栗河内守は悔しがったが後の祭りだった。寄居城には矢沢源次郎の兵が加わり、三郎右衛門は左京進に任せて岩櫃城で待機した。 奪い取った尻高城には海野能登守が嫡男の中務少輔と共に入り、中山城の攻略を始めると共に、沼田にいる北条軍に対する守りを固めた。さらに、矢沢薩摩守が人質として甲府にいた尻高源次郎と中山安芸守の家老の伜、平形五郎、越後の坂戸城から送られて来た尻高源三郎と中山九兵衛を連れて来て加わった。 その頃、雪に埋もれた越後の戦況は喜平次方の有利に展開していた。廐橋城主の北条丹後守は兵を率いて三郎景虎のいる御館に入り、三郎方の総大将となって活躍した。御館の士気は上がったが、旗持城(柏崎市)を何度も攻めるが落とす事ができず、中越、下越との連絡を断たれたまま食料の確保にも苦しんでいた。 二月一日、喜平次は各地から集めた大軍をもって御館を攻撃した。城下はすべて灰燼となる程の猛攻で、三郎方の大将となった北条丹後守が重傷を負い、その傷が元で二日後には亡くなってしまった。同時に北条軍が籠もっている樺沢城の攻撃も始まり、二月半ばには樺沢城は落ち、北条軍は敗走した。雪に埋まった三国峠を越え、無事に上野に逃げ戻ったのは半数にも満たない惨めな結果となった。琴音の夫、四郎は家臣たちに守られ、何とか生き延びた。丹後守の父親、安芸入道もひどい凍傷を負いながらも廐橋城にたどり着いた。 敗軍を迎えた沼田の安房守は怒り狂ったが、雪の越後に攻め込む事はできなかった。雪が解けるまで、何としても三郎に踏ん張ってもらうより仕方がない。城下の僧侶や山伏を集め、三郎の無事と喜平次の 尻高城に入った矢沢薩摩守は尻高源次郎と源三郎の兄弟を新しい城主と認め、中山氏の二人の人質を利用して、中山安芸守の降伏を誘っていた。安芸守は上杉に差し出した人質までも武田が手に入れた事に驚き、心は傾いていたが、武田に寝返ると中山城は北条軍のいる倉内城の前面に立つ事になる。北条軍を恐れて、なかなか決まらなかった。三月の半ばになって、ようやく薩摩守の説得にうなづき、降伏した。薩摩守は兵を率いて中山城に入り、北条に対する守りを固めた。 中山安芸守が武田方に寝返った頃、越後では、ついに御館が落城していた。二月の末、 三郎右衛門が三郎景虎の死を知ったのは四月に入ってからだった。一年余りも越後にいた東光坊が水月坊たちを連れて、ようやく帰って来た。 「師匠、お帰りなさい。どうも御苦労様でした」と三郎右衛門は岩櫃城内の屋敷で東光坊たちを迎えた。共に連れて行った若い三人は疲れ切ったような顔をしているのに、東光坊は疲れた様子もなく、逆に生き生きしているようだった。ゆっくり休めと三人を帰した後、三郎右衛門は酒の用意をさせた。 東光坊はうまそうに酒を一息に飲み干すと、ニヤニヤしながら、「向こうでわしが何をしていたと思う」と聞いてきた。 「何をって、三郎と喜平次の情報を集めていたんだろう」 「勿論、それもしていたが、それだけで一年余りも向こうにいられるわけはない」 「さては、いい女子ができて一緒に暮らしていたのか」と三郎右衛門もニヤニヤしながら酒を注いでやった。 「馬鹿を言うな、お屋形様じゃあるまいし。実はな、医者をしていたんじゃ」 「えっ、師匠が医者?」 そう言われてみれば、東光坊の職人のような格好は医者に見えなくもなかった。 「いつだったか、医者になると言ったじゃろう。あの時はできなかった。医者の事など忘れておったが、戦で怪我をした城下の者たちを見てな、何とかしてやろうと医者になったんじゃよ。山伏として城下をうろつくより、医者として怪我人の面倒を見ながら町人の中に入って行った方が情報も集めやすかった。初めの頃は慣れないのでうまく行かなかったが、今はもう名医といってもいい程、腕を上げたわ」 東光坊は笑ってから急に真顔に戻り、三郎景虎の死を告げた。 「自害してしまったのか‥‥‥」三郎右衛門は顔を歪めて酒を飲んだ。 東光坊もつらそうな顔をして酒を飲んでいた。 「琴音と別れて、越後に行ってから何年になるのだろう」と三郎右衛門は独り言のように呟いた。 「九年じゃよ」と東光坊は言った。 「九年にもなるのか‥‥‥」 三郎右衛門は三郎景虎に会った事はなかった。それでも、善恵尼や琴音から話を聞き、何となく親近感を持っていた。今頃言っても仕方がないが、もし、武田が喜平次と結ばなければ、お屋形様になれたかもしれないのに、味方に裏切られて自害してしまうなんて、あまりにも哀れな最期だった。 「北条が坂戸城にこだわらずに、もっと進撃していれば状況は変わったかもしれん」と東光坊は言った。「北条が引き上げてから、三郎は徐々に追い込まれて行ったんじゃ」 「今回、北条の攻撃は何となく、ちぐはぐだったように思うが、風摩党は何をしていたんだ」 「うむ。わしもおかしいと思っていた。何をしているんじゃろうと不思議に思っていたんじゃよ。その事を知りたかったが、今回は深入りはしなかった。なんせ、連れて行った奴らが新米じゃからな。越後の家督争いに首を突っ込んで死ぬのも馬鹿げじゃからのう。ただ、春日山城下にあった小野屋だが、謙信殿の葬儀のあったその夜、焼け落ちている。店の者と思われる焼死体が五つ見つかった。そいつらが風摩なのかはわからんが、喜平次方についた軒猿と呼ばれる忍びの仕業に違いない」 「能登守殿も言っていたが、軒猿というのは越後の山伏たちなのか」 「そうじゃ。謙信殿は米山や妙高など、地元の修験者を多く使っていた。謙信自身が修験者の親玉のようじゃったからのう。他に伊賀者も使っていたらしい。多分、三郎は小田原から風摩の者たちを連れて行ったじゃろう。上杉と北条が同盟していた頃は軒猿と風摩はうまく行っていたじゃろうが、同盟が壊れて敵対関係になった時、風摩がどうなったのかはわからん。三郎のもとにいる風摩が小田原の風摩に敵対したとは思えん。謙信殿が三郎をそのまま養子にしていたからといって、風摩までも越後に残る事を許したとは思えんしな。その時、風摩は小田原に追い返されたのかもしれん」 「あるいは軒猿に殺されたか」 東光坊はうなづいた。「今回、三郎の周辺に風摩の影は見当たらなかった」 「小野屋を焼かれ、風摩もいないとなると三郎からの情報はなかなか北条に届かなかったという事だな」 「多分な。使いの者は走らせたじゃろうが、喜平次についた軒猿に皆、殺されてしまったに違いない」 言いづらかったが三郎右衛門は東光坊に亡くなった月陰党の者たちの事を告げた。 「なに、十人もか‥‥‥」 東光坊は突然、配下の者たちの死を告げられ、しばし呆然としていた。ゆっくりと酒を飲むと、苦い薬でも飲み下したような顔をして、「そうか」と一言だけ言った。 三郎右衛門は東光坊が持ったままのお椀に酒を注いだ。 「風摩にやられた。多分、北条陸奥守の指揮下にある風摩だろう。陸奥守が廐橋にやって来てから次々に殺された。うちの忍びだけでなく、真田の忍びも岩櫃の忍びもやられたようだ」 東光坊は何も言わず、厳しい顔付きで夕闇の迫る庭を眺めていた。やはり、十人の配下を失ったのは強い衝撃のようだった。三郎右衛門がムツキたちを戻さなかったのは自分の責任だと言おうとしたら、 「陸奥守といえば、お屋形様のすぐ下の弟じゃったな」と東光坊は落ち着いた声で言った。 三郎右衛門は東光坊の顔を見つめながら、うなづいた。「武蔵滝山(八王子)の城主で気性の激しい武将だという」 三郎右衛門は東光坊が留守中の吾妻の状況を詳しく説明した。 「ほう、尻高と中山を落としたか。いよいよ、沼田じゃな。それにしても、上杉が預かっていた上野の人質すべてが武田の手に移ったというは上出来じゃな。沼田の衆もやがて寝返るじゃろう。しばらくはのんびり休もうと思っていたが、そうもできんようじゃな」 「いいえ、しばらく休んで下さい。今回は湯本家の出番はないようだ」 「なに、出番がなければ作ればいいさ」 東光坊は久し振りに、かみさんと子供の面を拝んで来るかと長野原に帰って行った。 三郎景虎の死を知った北条安房守は倉内城を猪股能登守、渡辺左近允、藤田弥六郎の三人の家臣に任せ、左衛門佐と共に引き上げた。廐橋城にいた治部少輔と大道寺駿河守も越後から逃げ戻って来た北条安芸入道芳林に任せて引き上げて行った。 しばらくは安泰だろうと真田喜兵衛も岩櫃城を去って行った。甲府で信玄の七年忌があるので出席しなければならないという。三郎右衛門も草津の山開きのために長野原に帰った。 善太夫の命日の前日、善恵尼は草津にやって来た。去年、会う事ができなかったので、三郎右衛門は草津で待っていた。尼僧姿の善恵尼は二人の尼僧を連れていた。二人とも善恵尼よりも年上に見えた。 「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」 善恵尼は微かに笑うと、「お世話になります」と頭を下げた。何となく、いつもと違い、疲れているようだった。 三郎右衛門は金太夫の宿屋のいつもの部屋に案内した。 「また、敵同士になってしまったわね」 「申し訳ございません」 「あなたが謝る事はないわ」 「でも、こんな事になるなんて‥‥‥甲府で祝言を挙げてから、たったの一年半で敵味方に別れてしまうなんて」 「仕方ないわよ。先の事は誰にもわからないもの」 善恵尼は連れの尼僧を三郎右衛門に紹介した。一人は梅恵尼といい幻庵の娘、もう一人は桃恵尼といい幻庵の孫だという。 「みんなもう出家しているから、敵も味方もないわ。でも、来年はもう来られるかどうかわからない。その分、のんびりさせてもらうわ。よろしくね」 「はい。どうぞ、ごゆっくりして行って下さい」 三郎右衛門は風摩党の事を聞きたかったが、敵同士になってしまった今、話してくれるはずはないと諦めた。三郎右衛門は『万屋』に顔を出して里々を呼んだ。 去年、里々の考えで長野原城下に店を出した『万屋』は今年の山開きの後、草津にも店を出した。店の主人となった双寿坊はすっかり商人になってしまい、愛想笑いを浮かべながら月陰党の娘たちを使っていた。越後から帰って来た水月坊、山月坊、新月坊の三人も普段は番頭として働いていた。 お屋形で待っていると一時程して里々は現れた。五人の若い者たちを連れていた。 「修行を終えた者たちを連れて参りました」と里々は言って、若者たちを庭に控えさせた。 「ほう。いつもより早いのではないのか」 「はい。いつもは今月一杯、山におりますが、先代のお屋形様の御命日でしたら、お屋形様も草津におられるだろうと思いまして、今年から早める事にいたしました」 「うむ、その方がいいだろう。必ずとは言えんが、会う事ができる」 「はい。左から照月坊、寒月坊、半月坊、ハヅキ、ナガツキでございます」 三郎右衛門はうなづきながら、一人一人の顔を見つめた。皆、目を輝かせて三郎右衛門を見上げていた。二人の娘は相変わらず美しい。どこから捜して来るのか、仙遊坊の目は確かだと改めて感心した。 「命懸けの仕事だが、湯本家のため働いてもらいたい。よろしくお願いする」 若者たちは力強く返事をして深く頭を下げた。 若者たちが去った後、三郎右衛門は善恵尼が来た事を告げ、陰ながら守るように里々に頼んだ。 「やはり、いらっしゃいましたか」と里々はうなづいた。 「出家した身に敵味方もないと言っておられた。すごいお人だ」 「サツキ、ミナヅキ、フミツキと一緒に早速、金太夫様の宿屋に入る事にいたします」 「うむ、頼むぞ。幻庵殿の娘さんとお孫さんも一緒におられるからな」 「かしこまりました」 善太夫の法事を済ますと三郎右衛門は善恵尼の事を里々に任せて長野原に戻った。お屋形の自室に入るとすぐ、東光坊が現れた。医者から山伏に戻っていた。 東光坊が越後に行っている間、三郎右衛門は東光坊の存在価値を改めて思い知っていた。三郎右衛門が命ずる以前に東光坊は動き、三郎右衛門が知りたいと思っている事を知らせてくれる。三郎右衛門にとって片腕以上になくてはならない存在だった。 「柏原城の事か」と三郎右衛門は聞いた。 柏原城はまだ、敵の手にあった。大将の植栗河内守は何をしているのか、なかなか攻撃を仕掛けなかった。口出しができないので歯痒くて仕方がなかった。 東光坊は首を振った。「河内守は慎重過ぎるな。長篠の時、重傷を負ったのが忘れられないのかもしれん。河内守に比べ、お屋形様の祖父様は大したもんじゃ。上杉からの人質を利用して、沼田の周辺を次々に攻略している」 「薩摩守殿がまた、敵の城を落としたのか」 「名胡桃城(月夜野町)と箱崎城(新治村)を攻略したようじゃ」 「名胡桃と箱崎といったら沼田から三国峠に向かう道に沿ってある城じゃないか」 「そうじゃ。さすがは薩摩守殿じゃ。すでに越後は喜平次のものとなった。越後は味方なんじゃよ。まず、三国峠を確保すれば、越後の援軍を得る事ができるというわけじゃ。三国峠の先の上田庄は喜平次の本拠地ともいえる所じゃ」 「成程、今まで敵だった謙信殿が通った道を援軍が来るというわけだな」 「そういう事じゃ」 長年、敵対して来た武田と上杉が同盟を結んで、北条と戦うなんて、謙信が生きていた時は誰も考えもしなかったのに、今、現実となっている。世の中の流れというものはまったくわからないものだった。 「それにしても、沼田に近い名胡桃城がよく寝返ったな」 「名胡桃城の鈴木主水は中山安芸守の娘婿なんじゃ。安芸守の説得と上杉に渡した人質が無事だと聞いて寝返る事にしたらしい。後は小川城じゃ。小川城には小川可遊斎、北能登守、南将監と三人がいてな、可遊斎と北能登守は武田につきそうなんだが、南将監が反対しているらしい。詳しい事はわからんが、人質がからんでいるらしいな。可遊斎という男は上方の浪人者で、一流の武芸者だそうじゃ。いつの頃か、名胡桃に流れて来て戦で活躍し、城主に祭り上げられたらしい。可遊斎には子供がいない。北能登守の子供が上杉の人質となり、南将監の子供が北条の人質となったらしい」 「沼田衆は北条にも人質を取られたのか」 「そりゃ当然じゃろう。人質を取らなかったらすぐに寝返られる」 「上杉に取られ、北条にも取られたとは可哀想な事だな」 「尻高、中山などは上杉、北条、そして、武田にも取られている。まったく哀れな事じゃ」 「北条の大軍が来たら、また寝返るのだろうか」 「寝返らなければ滅ぼされるじゃろう。北条の大軍が攻めて来る前に沼田を落とさなければならん」 「名胡桃と箱崎が寝返った事を知れば、北条は攻めて来るだろう」 「まだ内密じゃ。北条に気づかれんように極秘で行なわれておるんじゃよ」 「そうか、そうだろうな」 「前線に出られなくて不満なようじゃの」 「そんな事はないが」と否定してみたが、東光坊をごまかす事はできないと思い、三郎右衛門は苦笑した。 「近いうちに沼田攻めが始まる。湯本勢も参加する事となろう。それまで鋭気を養っておく事じゃ」 東光坊が去った後、三郎右衛門は琴音から貰った幻庵の一節切を久し振りに吹いてみた。何かと忙しく、一節切の事は忘れていた。善恵尼が幻庵の娘と孫を連れて来たと聞いて思い出したのだった。一節切を吹いていると、イライラしていた気持ちがだんだんと落ち着いて来た。三郎右衛門は何もかも忘れ、一心に一節切を吹き続けた。 ふと、人の気配を感じ、振り返ると里々がいた。金太夫の仲居をしているはずなのに、わざわざ、みすぼらしい農婦に化けていた。 里々は頭を下げると、「お屋形様の尺八を聞くのは久し振りでございます」と言って笑った。 「そういえば、お前が遊女だった頃、自慢げに聞かせたっけな」 「あの頃のわたしは何もできなくて、お屋形様が吹くのをうっとりしながら聞いておりました」 「今のお前の横笛は見事だよ。今度また聞かせてくれ」 里々は顔を少し赤らめて、恥ずかしそうにうなづいた。里々が三郎右衛門に横笛を吹いて聞かせたのは二年前の夏だった。白根山中にある綺麗な沼のほとりで水浴びをした後、里々は裸のまま横笛を吹いていた。 「ところで、何かあったのか」 「いいえ、何もございませんが、善恵尼様がお連れになった方々の身元がわかりましたので、お知らせした方がいいと思いまして」 「幻庵殿の娘さんとお孫さんじゃなかったのか」 「確かにそうでございます。梅恵尼様というお方は北条左衛門佐(氏堯)様の奥方様でございました」 「北条左衛門佐といえば、沼田にいたんじゃなかったか」 「いいえ。そのお方ではございません。先代のお屋形様、万松軒様の弟で幻庵様の跡を継いで小机城主となったお方だそうです。もう二十年近くも前にお亡くなりになられ、二人の息子さんも十年前に戦死なされたそうでございます」 「そうか。幻庵殿の娘というからには偉いお方だと思っていたが、先代のお屋形様の弟の奥方様か。本来ならお会いする事もできないお方だな」 「はい。もう一人の桃恵尼様はただ者ではございません。四十は過ぎていると思われますが、あの身のこなしは相当の腕です。一度、鋭い目付きで見つめられて、背筋が凍るような思いでした。お屋形様の母上様と奥方様とお話をしていらっしゃるのを聞いていただけですので詳しい事はわかりませんが、桃恵尼様のお祖母様というのは幻庵様の最初の奥方様だそうで、娘さんがお二人あって長女は善恵尼様の前の小野屋の御主人で、次女が桃恵尼様の母親だそうです」 「ちょっと待て」と三郎右衛門は言って、一節切を持ったまま考えた。「確か、幻庵様の最初の奥方様というのは愛洲移香斎殿の娘のはずだ。もしかしたら、風摩と関係あるのかもしれんな」 「わたしもそう思いまして、お知らせに参ったのでございます」 「ふーむ。風摩が草津に来たか。いや、ただ湯治に来ただけだろう。あまり詮索しない方がいい。その事には気づかない振りをした方がいいな。誰にも言うなよ」 「はい。かしこまりました」 「決して、ムツキたちの仇を討つなどと考えるなよ。あれは戦だ。やったのが風摩だったとしても、それを命じたのは陸奥守だ。たとえ、桃恵尼殿が風摩だったとしても、善恵尼殿がお連れした大切なお客様だからな」 「はい、わかっております。わたしとしても風摩を敵とは思いたくはありません。ただ、亡くなった者たちが哀れで‥‥‥」 「いつか、戦のない世の中が来る事を願うしかないな」 里々は驚いたように大きな目をして三郎右衛門を見つめ、「そんな世の中が来るのでしょうか」と聞いた。 「いつかは来るはずだ。お前が小田原で習った陰流の極意は何だか知っているか」 「陰流の極意でございますか」 「うむ」 里々はしばらく考えていたが首を振った。「わかりません。ただ、強くなる事だけを考えて修行を積んでおりました」 「陰流の極意は『和』だと移香斎殿は言ったらしい」 「和ですか‥‥‥」 「まだ俺にもわからん。ただ、移香斎殿が平和を願っていた事は確かだろう。戦のない平和な世の中をな。晩年の移香斎殿は刀も帯びず、名を隠して草津で医者として、かったい(癩病患者)たちの面倒を見ていたそうだ」 「えっ、武芸の達人が、あのかったいたちの面倒を見ていたのですか」 里々は信じられないといった顔をして三郎右衛門を見ていた。 「先代のお屋形様が幼い頃、実際に目にしている。その頃は誰もが武芸の達人だとは思わず、変わり者の医者だと思っていたらしい」 「そうだったのですか。移香斎様がそんなお方だったとは‥‥‥」 「そんなお方が言った『和』という意味は非常に重い。今の俺にはわからん。でもな、いつか必ず、その意味を悟りたいと思っている」 里々は『和』という言葉を噛み締めながら草津に帰って行った。 五月の末、善恵尼が明日、帰るという里々の知らせを聞いて、三郎右衛門は草津に上り、挨拶に伺った。 「お世話になったわね。久し振りにのんびりしたわ」と善恵尼は屈託なく笑った。疲れも取れたと見えて、顔色もすっかりよくなっていた。 「あなた、聞きたい事が色々とあるんでしょ。遠慮なく聞いたら」 善恵尼は三郎右衛門の顔をじっと見ながら、そう言った。心の中を見透かされたと三郎右衛門は慌てた。 「でも、敵同士になってしまいましたので」 「あら、あなた、敵同士だった頃、命を懸けて小田原にいらしたじゃない」 「あの時は‥‥‥」 「命よりも琴音ちゃんに会いたかったから?」 「あの時は若かった」 「何を言ってるの。今だって若いじゃないの」 「でも、あの頃のような無茶はできなくなりました」 「お屋形様ですものね。越後の三郎様がお亡くなりになったと聞いて琴音ちゃんは泣いていたわよ。旦那様も越後に出陣して行ったのに、三郎様の事ばかり心配していたわ。あんな所で死なせてしまって‥‥‥ほんと、可哀想に」 善恵尼はつらそうな顔をして両手を合わせた。三郎右衛門は東光坊から聞いた三郎景虎の最期を思い出した。小声で念仏を唱えていた善恵尼は顔を上げると三郎右衛門を見た。いつもの落ち着いた顔付きに戻っていた。 「善恵尼殿は小田原におられたのですか」と三郎右衛門は聞いた。 「そうよ。わたしが越後に行ったと思ったの」 「はい。春日山城下にも『小野屋』がありましたから」 「あの小野屋は、謙信殿がお亡くなりになった後、すぐに焼けてしまったのよ。小野屋の者たちも皆、殺されてしまったわ」 「今回、風摩党は何をしていたのです。三郎殿も風摩党の者を連れて行ったのでしょう」 「勿論、連れて行ったわ。でもね、北条と上杉の同盟が破れた時、ほとんどの者が殺されてしまったの」 「謙信殿が命じたのですか」 「そうじゃないわ。謙信殿は三郎様に小田原に帰るように勧めたのよ。でも、小田原に帰っても琴音ちゃんは弟に嫁いでしまったし、自分のいる場所はない。越後には妻も子もいる。三郎様は越後に残る決心をして、小田原から連れて行った家臣たちに、帰りたい者は帰っていいって言ったのよ。何人かは帰ったけど、ほとんどの者は越後に残ったわ。風摩党の者たちはお屋形様の命で動いているから帰らざるを得なかった。というのは表向きで、上杉の情報を得るために密かに残ったのよ。勿論、三郎様にも内緒でね。ところが、みんな、殺されてしまったの」 「やはり、謙信殿が命じたんじゃないですか」 善恵尼は首を振った。 「風摩党の命令権を持っているのはお屋形様だけなの。先代のお屋形様、万松軒様は四十五歳の時、隠居なさって、今のお屋形様に家督を譲ったの。でも、風摩党の命令権は離さなかった。今のお屋形様は家督を継いでから十二年間も風摩党を使う事はできなかったのよ。今のお屋形様だって、色々な情報を知りたかった。そこで、武田から嫁いだ奥方様の側近の者から伊賀者や甲賀者を紹介してもらったの。伊賀者、甲賀者というと忍びの代表みたいに世間では通っているけど、みんな、愛洲移香斎様の孫弟子みたいなものよ。伊賀者や甲賀者も、いくらお屋形様の命令だからといって、移香斎様の孫のいる風摩党の縄張り内で勝手な真似はできない。初めの頃は必ず、風摩党のお頭、小太郎様の所に挨拶に来て、許しを得てから活動していたのよ。でも、世代が代わると、もう移香斎様の事を知っている者は少なくなって来たわ。許しも得ないで勝手に活動する者が現れて来たの。風摩党としては、そんなのを許したら示しがつかなくなるので領内から追い出したわ。自分のために働いていた者たちを追い出され、お屋形様は風摩党を憎むようになり、追い出された者たちは赤目の銀蔵という伊賀者を連れて来た。この赤目の銀蔵のお陰で、風摩党はおかしくなってしまったのよ。万松軒様の命で動く風摩党とお屋形様の命で動く銀蔵一味が陰で対立して、お互いに足の引っ張り合いを始めて、本来の諜報活動がおろそかになってしまったの。三増峠の合戦の時、北条が武田に敗れたのは銀蔵一味のお陰で正確な情報が手に入らなかったからなの。銀蔵一味はお屋形様に取り入って、風摩党にとって代わろうと企み、風摩党の邪魔ばかりしていたわ。万松軒様がお亡くなりになられて、お屋形様はようやく風摩党の命令権を得た。所詮、雇われ者だった銀蔵一味は解雇された。これでようやく、うまく行くと安心したんだけど、銀蔵一味は素直に伊賀には帰らなかった。敵となった越後の謙信様のもとへと行ったのよ。北条の内情に詳しい銀蔵は謙信様に召し抱えられ、風摩党に敵対して来たわ。銀蔵一味に何人の者が殺されてしまったかわからない。銀蔵に邪魔されて諜報活動はうまく行かないし、お屋形様の信用もなくしてしまい、お屋形様は風摩党の命令権を放棄してしまったのよ。弟の陸奥守(氏照)様や安房守(氏邦)様、左馬助(氏規)様や左衛門佐(氏忠)様、江戸の治部少輔(氏秀)様とそれぞれが勝手に風摩党に命令を与えているの。勝手に動いていると言っても、お頭の小太郎様や幻庵様、それに道感様がしっかりしているので一応、風摩党は一つにまとまってはいるけど、以前程の結束はなくなってしまったわね」 善恵尼は梅恵尼と桃恵尼の方を見て、微かに笑った。梅恵尼と桃恵尼は黙って善恵尼の話を聞いていた。まるで、弟子が師匠の法話を聞いているかのようだった。 「道感殿も風摩党と関係があったのですか」と三郎右衛門は善恵尼に聞いた。 「道感様の娘さんはお頭の奥様なのよ。幻庵様はもうお年でしょ。風摩党の事を道感様にお託しになったのよ」 「そうだったのですか。それで、赤目の銀蔵とやらは今も越後にいるのですか」 「いるわ。今では上杉の忍び、軒猿を仕切っているんじゃないの。銀蔵は謙信様がお亡くなりになると、すぐに喜平次方について、越後にいる風摩党の者を皆殺しにしたの」 「謙信殿が亡くなるまでは、銀蔵も風摩の者たちに手出しはしなかったのですか」 「そんな事はないわ。銀蔵を倒すために次々に越後に送られて、銀蔵対風摩の争いはずっと続いていたのよ。勿論、三郎様はそんな事はご存じなかったけど。謙信様が急にお亡くなりになって、風摩の者たちは直ちに情報を集めて小田原に知らせなくてはならなくなった。銀蔵の相手をしている場合じゃなかった。その隙を狙われて、皆、殺されてしまったのよ。あなたの知りたい事はこれでわかったでしょ。申し訳ないけど、それ以上の事は話せないわ。ただ、銀蔵一味には気をつけた方がいいわね。今は武田と上杉は同盟しているけど、先の事はわからない。風摩党でさえ、未だに倒せないんだから、敵に回したら湯本家の忍びは全滅するわ」 「はい。銀蔵の名、肝に銘じておきます」 善恵尼はチラッと桃恵尼を見てうなづいた。桃恵尼は微かに笑みを浮かべた。ほんの一瞬、目付きが鋭くなったような気がした。里々が言ったように、ただ者ではなさそうだった。 翌日、善恵尼たちは帰って行った。 七月の初め、植栗河内守はようやく柏原城を攻め取る事に成功した。三郎右衛門は左京進に任せて参戦しなかった。敵の隙を狙った奇襲攻撃でうまくは行ったが、被害も予想以上だった。味方の兵三十人余りが戦死し、援軍として寄居城に入っていた矢沢薩摩守の次男、源次郎も戦死してしまった。湯本家の家臣も三人が戦死し、五人が重傷を負った。 三郎右衛門は戦死した者たちの家族を見舞い、それ相当の恩賞を与え、光泉寺において葬儀を執り行なった。左京進は再び、植栗河内守と共に柏原城の守備を命じられた。
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沼田、倉内城跡