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スピーカーから流れるモーツァルト‥‥‥ ラーラと久美子はレストランのテーブルに座っている。 ウェイトレスがワインを持って来て、栓を抜き、二つのグラスに注いで去って行った。 「乾杯!」とラーラ。 ワインを飲む二人。 「おいしい」と久美子。 「この国の人はお酒が大好きなの。その中でも特にお酒好きの人が作ってるから、うまいのができるのよ」 「うん、うまいわ。でも、その作ってる人、アル中にならないの?」 「アル中になったら、お酒、作れないでしょ。お酒を飲むのも好きだけど、うまいお酒を作るのは、それ以上に好きなのよ」 ウェイトレスが次々に豪勢な料理を持って来る。 「わあ、凄い。ねえ、これ、みんな、ただなの?」 「そうよ。ここの主人はね、うまい物を人に食べさせるのが好きなのよ」 「でも、こんな凄い料理、ただで貰ったら、何だか悪いような気がするわ」 「いいのよ。喜んで食べてあげれば」 「よし、食べよう」 二人は料理に食らいつく。 「うまい‥‥‥おいしい‥‥‥」と言いながら久美子は食べる。 「今日のは特別だわ、最高ね」とラーラ。
食後酒を飲んでいる二人。 「もう、おなか、いっぱい‥‥‥」と久美子は腹を押さえた。 「うん、食べ過ぎた感じね‥‥‥おじさん、おばさん、とてもおいしかったよ」とラーラは調理場に向かって言った。 「そうか、いっぱい食べたかい?」とおやじさんの返事が来る。 「うん、ありがとう」 「いや、また、おいで」 「御馳走様でした」と久美子も言う。 「ねえ、お姉さん、人間の世界って面白い?」 「面白くないわよ。みんな、こせこせとしてるわ。朝から晩まで、お金の勘定よ」 「ふうん。でも面白そうだわ。あたし、人間界に行こうかなって思ってるの」 「やめた方がいいわ。ここの方がずっと楽しいじゃない」 「平和すぎるのよ、ここは」 「一度、向こうで過ごしてみるといいわ。つまらない所だから」 「あたしもそうしたいけど、そうは行かないの。一度、ここから出ちゃうと二度と戻って来られなくなるのよ」 「だって、あなた、地上から戻って来たじゃない」 「あたしはガイドさんなの。今日も人殺しを一人、人間界に連れてった帰りに、お姉さんに出会ったの。でも、仕事だから帰って来られるけど、あたしがもし、向こうでしばらく遊んでいたら、もう帰って来られなくなるわ」 「へえ、あなたが人殺しを人間の所まで連れて行くの」 「そうよ。こんな仕事をしてなかったら、あたしだって、人間界に行きたいなんて考えもしなかったわ。でも、何回と行ったり来たりしてるうちに、何となく、あっちの方があたしに合ってるような気がして来たのよ」 「ふうん‥‥‥でも、あなた、好きでガイドさんになったんでしょ」 「そうよ。みんなは人間界っていうと気違いの集まりだとか、悪人ばかりだとかって言うけど、あたしは何となく興味があったのね。それでガイドになったんだけど、一度、あっちの世界を知っちゃうと、ますます、あっちに住みたくなるの。あたしの運命なのかしら‥‥‥人間になるのが」 「あなたなら、人間の世界に行っても大丈夫だと思うけど、一体、何するの? ここと違って、お金を稼がないと食べて行けないわよ」 「それは簡単よ。お金なんか、この体があれば、たっぷりと稼げるって聞いたわ」 「そりゃ、そうだけど。確かに、体があれば稼げるけど、あんた、自分の体を売るの?」 「うん。あたし、アレ、好きだもん。男の人を喜ばせてあげて、あたしもいい気持ちになって、お金、貰えるなんて最高じゃない」 「こんちわ」と赤ら顔の男が酒樽を抱えて店内に入って来た。酒造りの名人、六さんである。 調理場から、太ったおかみさんと主人が出て来る。 「やあ、六さん、御苦労さん」と主人は六さんを迎えた。 「新しいのができたらしいね」 「ああ、今度のは最高だぜ」と六さんは胸を張った。「胃袋がとろける程の代物だぜ」 「おっちゃん」とラーラが声を掛けた。「さっきのワインもうまかったよ。今度のは何?」 「今度のは泡盛だ。おめえら娘っ子にはちょっと強すぎるな」 「ちょっと飲ませてよ」とラーラはせがむ。 「飲むか? 腰が抜けても知らねえぜ。旦那、ちょっとコップ、貸してくんな」 ウェイトレスがみんなのコップを持って来る。 コップに泡盛を注ぐ六さん。 「さあ、飲んでくれ」 「いただこうか」と主人が言った。 みんなは泡盛を飲む。 「かあ、強い!」とラーラは眉を寄せた。 「うん、こいつはうめえや」と主人はうなづいた。 満足そうに、みんなの顔を見ている六さん。 「ありがとうよ、六さん」とおかみさんはニコニコしながら言った。 「いや、いや、みんなが俺の酒を飲んで、いい気持ちになってくれりゃあ、俺は嬉しいんすよ」 幸せそうな六さんの顔を見ている久美子。
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街の中を歩いているラーラと久美子。 両側には店が並んでいる。どの店も手作りの物しか置いてない。 「ねえ、あれ、みんな、ただなの?」と久美子は聞いた。 「そうよ」 「信じられないわ」 「欲しい物があったら、どんどん貰いなさいよ。店の人も喜んでくれるわ」 「そうね‥‥‥」 店を覗きながら歩く久美子。 筆が置いてある店がある。 「ここの筆は最高よ。貰って行ったら」とラーラは言った。 「どうぞ、お好きなのを選んで下さい」と店の人も言った。 「そうね」と久美子は筆を手に取って見る。そして、書道用の太筆を一本、選んだ。 「これ、いただいていいかしら?」 「どうぞ、どうぞ」と店の人は喜んで言った。 「どうもありがとう」と言って久美子は去ろうとするが、「あっ、そうだ」と言って引き返す。スケッチブックの中から一枚の風景画を切って店の人に渡した。 「お礼に、これ貰って下さい」 「ほう」と言って店の人は久美子の絵を見た。「絵画きさんでしたか‥‥‥それでは、この筆を使って下さい」と奥の方から木箱に入った筆を出して来た。 「これはわたしの自慢の筆です。ぜひ、これで絵を描いて下さい」 「えっ、いいんですか? こんな素晴らしい筆を‥‥‥」 「ええ、あなたに貰っていただきたいんですよ。これだけの絵を描くあなたに使って貰えるなら、わたしもその筆を作った甲斐があるってものですよ」 「ほんとにどうもありがとうございました」 「こちらこそ、この絵は大切にしますよ」と店の人は心から喜んで、久美子の絵を大事そうに奥の方に持って行った。 「よかったわね」とラーラは笑った。 「うん‥‥‥」と久美子はなぜか感動していた。 「見て、あれも凄いでしょ」とラーラは大理石の彫刻がずらりと並んでいる店を指さした。 「うん‥‥‥」 店に並べてある作品に驚きながら見て歩く久美子。 「みんな凄いわね。これ全部、手作りなんでしょ」 「そうよ」 「素敵だわ。何にもわずらわされないで、自分の好きな事だけやっていればいいなんて‥‥」 「でもね、なかなか大変なのよ。みんな初めから、ああいう事をやってたんじゃないわ。色々な事をやってみて、やっと、自分が本当にやりたいっていうものを捜し出したのよ」 「でも、食べ物の心配しなくていいんだから、楽じゃない」 「そりゃあ、食べ物も着る物もみんな、ただよ。レストランに行けば、たとえ、自分が何もしないでブラブラしてても、喜んで、うまい物を食べさせてくれるわ。でも、それが毎日、続いてごらんなさい。とても耐えられないわ。自分も何かをしなくちゃって気になるのよ。そして、何かを始めたら、もう真剣よ。自分との戦いなのよ。自分が納得するまで続けて行くの」 「そうね。あたしもさっき感じたわ。こんないい筆を貰っちゃって、もっと、いい絵を描かなくちゃってね」 「そうでしょ」 街はずれまで来る二人。 田園が広がっている。 「どこ行くの?」 「保育園」 「保育園?」
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