9
五郎右衛門が朝稽古を終えて、朝飯を食べている時、お鶴はやって来た。 「おはようさん」とお鶴は笑いながら言った。 「おはよう」と五郎右衛門は飯を食べながら返事をした。 「今日もいいお天気ね。五エ門さん、もし、雨が降ったらどうするの?」 「わしは五郎右衛門じゃ。雨が降っても変わらん」 「風邪ひくわよ」 「そんな事はない」 「強いのね。毎日、自分でご飯、作ってるの?」 「当然じゃ」 「あたしが作ってあげましょうか?」 「いらん。そなたは毎日、何してるんじゃ?」 「あたし? あたしは毎日、何やってんだろ?あまり、そういう事、覚えてないのよ。ようするに暇なのかしら」 「寺では何かをしてるんじゃろ?」 「そうね。和尚さんのご飯を作るくらいよ。夜は和尚さんとお酒を飲んでるわ」 「御亭主の供養もしてるんじゃろ?」 「そうね、それもしてるわ。でも、死んだ人なんかどうでもいいのよ」 「仇を討つんじゃなかったのか?」 「討つわ。あなた、助けてくれるんでしょ?」 「縁があったらじゃ。相手はどんな男なんじゃ?」 「人から聞いた話だとね、 「それだけか?」 「うん‥‥‥まるで、あなたみたいじゃない」 「わしかもしれんな」 「あなたであるわけないでしょ」 「御亭主の名は?」 「川上新八郎」 「知らんな」 「五エ門さん。あなた、何人ぐらい人を殺したの?」 「わしは五郎右衛門じゃ」 「どっちでもいいじゃない。ねえ、何人殺したの?」 「数えた事はないが相当な数じゃろうな」 「ふうん‥‥‥女は?」 「女など殺さん」 「泣かせた女は?」 「そんなもんは知らん」 「ほんとはかなりいるんでしょ?」 「ああ、百人じゃ」 「ほんと?」 「ああ。そなたを入れりゃ百一人になる」 「面白い人。あたしを泣かす気?」 「ああ、そのケツをひっぱたいてな」 「フフフ、そのうちね」 「ところで、和尚っていうのはどんな男なんじゃ?」 「 「偉い坊主なのか?」 「さあ、ちっとも偉くなんか見えないわ。大した坊主じゃないんでしょ。面白い人だけどね」 「そうか」 「ねえ、あなた。また、棒振りやるの?」 「ああ」 「どうして? かなり強いんでしょ?」 「わしの剣はまだまだじゃ」 「よく昔の人が山奥で修行して、悟りを開いたとか言うけど、あれね? 悟りを開くまでここにいるの?」 「まあ、そういう事じゃ」 「頑張ってね。あたしも応援するわ」 五郎右衛門は木剣を持って立ち上がった。 「今晩、お酒、持って来るわね。それと、ご飯もあたしが作ってあげる」 五郎右衛門は立ち木に向かって木剣を振り始めた。
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10
岩屋の中、五郎右衛門とお鶴が酒を飲んでいる。 「こういう洞穴の中で飲むお酒もわりとおいしいわね」 「わしはこの酒、飲んだ事あるぞ」 「あら、そう」 「ああ、観音様が持って来た酒と同じじゃ」 「観音様?」 「ああ。あいつじゃ」五郎右衛門は木像の観音様を示した。 「あんた、わりと冗談ばっか、言う人ね」 「そう言えば、そなた、観音様に良く似てるな」 「あら、良くわかったわね。あたしは観音様よ。そして、あなたは仁王様。あたしを守るのがあなたの仕事ね」 「そういう事じゃな」 「ねえ、五エ門さん。あなた、江戸に行った事ある?」 「ある」 「そう。あたし、行ってみたいわ。浅草に観音様がいるんでしょ?」 「小さな黄金の観音様がいるらしい。わしは見た事ないがのう」 「仁王様も?」 「でっかい仁王様が二人、入口で頑張ってるよ」 「ちっちゃい観音様を守るのに、でっかい仁王様が二人もいるの?」 「そうじゃ」 「さすがね。でも、あたしはあなた一人でいいわ。二人なんて、とても無理よ。体がもたないわ」 「お鶴さん。そなた、何を考えてるんじゃ?」 「何って、観音様の事じゃない。ねえ、もっと、江戸の事、聞かせてよ」 「わしは江戸で剣術の事しか考えてなかったからな。あまり知らんよ」 「じゃあ、何でもいいわ。話、聞かせてよ。何か面白い話ない?」 「それじゃあ、一つ、昔話でもしてやろう」 「色っぽいのを頼むわ」 「わかっておる。昔々、ある所にお爺さんとお婆さんがおったとさ。お爺さんは山に柴刈りに‥‥‥」 「ちょっと待って。それ、もしかしたら、桃太郎じゃない?」 「当たり」 「桃太郎くらい、あたしだって知ってるわよ。どこが色っぽいのよ?」 「桃から生まれた桃太郎が龍宮城に鬼退治に行って、乙姫様としっぽり濡れるんじゃろ。色っぽいじゃないか」 「どこが? 帰って来たら、おいぼれ爺さんの鶴になって、どこかに飛んで行くだけじゃない。鶴は千年、亀は万年、めでたし、めでたし。もっと他に知らないの?」 「 「駄目。つまんないわ」 「面白いぞ。 「つまんないったら。ただの鬼退治じゃない。あなた、鬼退治しか知らないのね」 「それじゃあ‥‥‥」 「一寸法師も駄目」 「それじゃあ、ハムレットは?」 「駄目。オフィーリアが可哀想よ」 「そうか、じゃあ『夢ケ池』ってのはどうじゃ?」 「何、それ?」 「悲しい恋の物語」 「うん。それ、行ってみよう」 「昔々、まだ武蔵野が一茫の野原での、江戸という地名はもとより、人家もほとんどなかった頃の事じゃ。 「ねえ、ねえ、あたしとどっちが綺麗?」 「そうじゃな。そなたの方が綺麗じゃろう。婆さんよりはな」 「何よ、この」 「それで、その娘っていうのは色白で目元涼しく、その美しい顔には何とも言えん哀愁が漂ってるんじゃ。それがまた魅力でな」 「あたしみたい」 「それで、旅人なんじゃが、その娘の美しさに放心して、ある者は恋人を思ったり、ある者は故郷に残して来た妻の事を思うんじゃ」 「思うだけで、その娘には手を出さないの?」 「出した奴も中にはいたじゃろうな」 「あなたみたいにね」 「うるさい。黙って聞いてろ。どこまで、話したっけ?」 「旅人が娘を口説く所よ」 「違うわ。ええと、娘じゃなくて老婆じゃ」 「あなた、老婆も口説いたの?」 「馬鹿、わしの話をしてるんじゃないわ。その老婆っていうのは、実は鬼婆なんじゃ。旅人が旅の疲れでぐっすり寝てしまうと‥‥‥」 「いいえ、それは違うわ。その旅人は娘を抱いたから疲れたのよ。そういういい女ってえのは男を疲れさすものなのよ」 「そうかい。とにかく、旅人はぐっすり寝てるんじゃ。老婆は石でもって旅人の頭を砕いて殺し、身ぐるみを剥がすと死体は近くの池に投げ捨てた。そうやって、老婆は何人もの旅人を殺して旅人の持ち物を盗んでいたんじゃ」 「娘はそれを黙って見てたの?」 「そう。そこが悲しい所なんじゃよ。老婆っていうのは娘の母親なんじゃが、母親にそんな事はやめてくれって言っても聞いてはくれん。旅人は助けてやりたいが、それには母親の悪事をすべて、さらけ出さなくてはならん。小さな胸を震わせて、毎日、悩んでいたんじゃよ」 「とか何とか言っちゃって、本当は自分も楽しんでたんじゃないの。きっと、その娘、 「おい、勝手に淫乱にするな」 「それで、どうしたのさ」 「ある日の夕暮れ、一人の旅人があった。それが見目麗しいお 「あんた、お稚児さんにも興味あるの?」 「わしじゃない、娘の方じゃ。娘がその稚児に一目惚れしたんじゃ。そこで、娘は考えた」 「可愛いちっちゃな胸で?」 「そうじゃ」 「そのお稚児さんと駆け落ちしようと?」 「違う。その夜も稚児が寝てしまうと、老婆は手慣れた石で頭を一気に砕いたんじゃ。ところが、明かりを近づけた老婆は悲鳴をあげると共に、その死骸に取りすがって泣いたんじゃよ」 「娘だったのね?」 「そうじゃ。稚児を助けるために娘は自分の命を捨てたんじゃよ」 「それで?」 「おしまい」 「お稚児さんはどうなったの?」 「腰を抜かして小便を漏らして逃げてったんじゃないのか」 「情けないわねえ。その娘が可哀想じゃない。どうして、そんな男のために命を捨てるのよ。わかんないわよ」 「娘は稚児だけじゃなくて、母親も救ったんじゃ」 「母親はどうなったの?」 「尼さんになって自分が殺した死者の 「めでたし、めでたしね‥‥‥ねえ、もっと、 「どこかの殿様が愛する 「アソコって?」 「ここじゃ」 「すけべ。あんた、ちょっと変態じゃないの?」 「馬鹿者、わしがそんな物を食うか。その殿様だって好きで食ったわけじゃない。食わされたんじゃ。色々と女どもの嫉妬がからんでるんじゃよ」 「やめてよ。そんな気色わるい話。今度は純愛物がいいわ」 「そんなもん、わしが知るか。今度は、そなたがやれ」 「そうね‥‥‥八百屋の七ちゃんのお話、知ってる?」 「知らん」 「知ってるわけないわね。今から六十年後の話よ」 「何、六十年後だと? まあ、好きにしろ」 「その年にね、江戸で大火事が起こるのよ。八百屋の七ちゃんの家も焼け出されてね、お寺に逃げ込むのよ。七ちゃんはまだ十五で、それはもう初々しくて可愛いの。あたしみたいよ」 「十年前のそなたじゃな」 「ううん」 「いてっ!」 「可愛い七ちゃんはね、お寺の境内を散歩してたのね。そして、 「それは十年前のわしじゃな」 「ハハハ、笑わせないでよ、あなたが美少年だって‥‥‥かもしれないわね。あたしたち、十年前に会ってたらよかったのにね。二人ともまだ初々しくて‥‥‥あなた、十年前、何してたの?」 「十年前か‥‥‥江戸で剣術の修行してたのう」 「あなたはいつでも剣術なのね」 「そなたは何やってた?」 「あたし? 十年前はね‥‥‥もう忘れたわ。ええと、七ちゃんとよっちゃんはね、お寺の境内で偶然、出会ったのよ。その出会いが、また可愛いのよ。よっちゃんの指にとげが刺さって困ってたの。それを七ちゃんが優しく抜いてあげるのよ」 「そのお返しに、今度はよっちゃんが七ちゃんにとげを刺してやるのか」 「何言ってるの、この馬鹿。それが縁で、二人はこっそり会うようになるの。境内の木陰や物陰で幼い恋が芽生えるのよ」 「とげの抜きっこをするんじゃな」 「とげはもういいのよ。ところがね、焼けた七ちゃんの家が何とか住めるようになったんで、二人は別れなければならなくなったの。つらい別れだったわ。家に帰った七ちゃんは悲しいくらい、よっちゃんの事を思って苦しんだわ。会いたいけど会えない‥‥‥」 「どうして、会えないんじゃ? 会いに行けばいいじゃろう」 「あんたにはわかんないのよ、恋に悩む切ない乙女心が。七ちゃんはとても内気で、そんな大それた事なんてできなかったの。でも、下女に頼んで、手紙のやり取りはしてたみたい。だけど、とても、そんな事だけじゃ耐えられないわ。悩んでいるうちに一つの考えがひらめいたの。『もう一度、火事になればいいんだわ。そしたら、また、よっちゃんに会える』初めのうちは、そんな事はしちゃいけない、しちゃいけないって思ってたけど、とうとう、恋心の方が勝っちゃったのね」 「火を点けたのか?」 「そう、放火したの。でも、失敗してね、人に見つかって火は消されてしまうし、自分は捕まってしまうのよ。放火の罪は火あぶりの刑よ。七ちゃんは素直に放火の事を白状しちゃったわ。そして、火あぶりになって死んじゃったのよ」 「熱かったじゃろうのう。で、男の方はどうしたんじゃ?」 「自殺しようとしたけど人に止められて、高野山に登ったわ」 「ふん、つまらねえ男じゃ」 「あなたなら、どうする?」 「こうするよ」 「フフフ、優しくしてね。まだ十五の乙女なんだから」 「十五の乙女にしては酒臭えのう」 「お互い様でしょ。ねえ、五エ門さん、この刀、痛いんだけど」 「わかった。この帯も邪魔なんじゃがの」 「まったく、贅沢ね。でも、汚れそうだから脱ぐわ。ねえ、お互いに余計な物は、みんな、脱いじゃいましょ」 「そうするか」 「準備オーケイよ」 「よし」 「ちょっと、このヒラヒラしてるの邪魔よ」 「まだ、いいじゃろう」 「臭いのよ」 「そうか‥‥‥」 「あら、元気いいのね」 「そなたがいいオナゴじゃからのう」 「あら、嬉しい‥‥‥うぅ〜ん‥‥‥あたしのね、一番感じる所、ここよ」 「ここか?」 「そう、優しくしてね」 「‥‥‥」 「うん、いいわ‥‥‥痛い!」 「どうした?」 「これよ、石っころよ。背中の下にあったのよ。それに、 「ごちゃごちゃ抜かすな」 「あぁ〜ん‥‥‥いいわぁ‥‥‥うぅ〜ん‥‥‥はぁ〜ん‥‥‥あぁ‥‥‥」 「おい」 「痛い! 放してよ」 「何の真似じゃ?」 「やっぱり、ばれちゃったか」 「ばれたかじゃねえ。何の真似じゃ?」 「気にしないで、冗談よ」 「何じゃと、お前は冗談で人の首に刃物を向けるのか?」 「ちょっと放してよ。みんな話すからさ」 「話してみろ」 「ああ、痛かった。ほんとに馬鹿力なんだから。腕が折れたらどうすんの?」 「何を言ってるんじゃ。わしの首を刺そうとしたくせに」 「あやまるわ。御免なさい」 「さあ、話せ」 「あのね、実は、あたしの夫の仇っていうのは、あなただったのよ」 「確かにか?」 「そうよ。針ケ谷なんて名前、滅多にないでしょ。でも、あんたは強いし、とてもじゃないけど、あたしには斬れないわ」 「それで、わしの寝首を掻こうと考えたのか?」 「そう。あたしに夢中になってれば大丈夫だろうと思って。あんたって本当に強いのね。あたし、死んだ夫じゃなくて、あんたの妻になってりゃよかったわ」 「そうか、わしが 「ねえ、あなた、あなたはあたしの仇討ちを助けてくれるって言ったわね。ねえ、お願いよ、助けて」 「お前、何を言ってるんじゃ。わしを殺すのをわしが助けるのか?」 「そうよ、一番簡単じゃない」 「馬鹿言うな」 「何よ、この嘘つき!」 「お前だって嘘ついたじゃろう」 「じゃ、おあいこか‥‥‥あたし、これから、どうしたらいいんだろう?」 「知らん」 「ねえ、よく考えてみて。あたしだけじゃないはずよ。あたしみたいな女が他にも何人もいるはずだわ。あたしがそういう悲しい女たちを代表して、あなたを斬るわ。だから、あなた、ねえ、協力してよ。死んで行った人たちの魂を弔ってやった方がいいよ」 「わしに坊主になれと言うのか?」 「坊主になったって駄目よ。あたしに斬られればいいのよ。どうせ、あなたもいつかは誰かに斬られるんだからさ、どうせなら、あたしに斬られて死んだ方がいいでしょ」 「今、わしはお前に斬られるわけにはいかん。わしはお前に斬られるために、今まで苦労して剣術の修行を積んで来たのではない」 「そんなの自分勝手よ」 「だから、もし、わしに隙があったら、いつでも、わしに斬りかかって来い。もし、わしがお前に斬られるようじゃったら、わしの剣術も役立たずじゃったと諦める。それでいいじゃろう」 「うん、まあ、いいわ。それじゃあ、そういう事にしましょ」 「ああ」 「寒いわ‥‥‥ねえ、抱いて」 「おい。わしとお前は仇同士じゃ」 「だって、途中だったじゃない。それとこれとは別でしょ」 「何が別なんじゃ」 「何がじゃないの、続きよ。仇同士になるのは明日からでいいじゃない」 「そうか‥‥‥今度は刃物なんか持つなよ」 「うん。持たない」 「よし。明日の朝まで休戦じゃ」 「う〜ん‥‥‥」
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