酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







15.リュミエールホテルの支配人




 道路が混んでいて、ナハパレスに着いたのは六時四十分だった。途中、何回か中山淳一に電話してみたが通じなかった。

 フロントに確認すると淳一は外出中で、ルームキーを預かっているとの事だった。いつ頃出掛けたのか聞いてみると、はっきりとはわからないが、チェックインのお客様でフロントが混んでいた五時過ぎではなかったかという。出掛ける前にリュミエールホテルの支配人が中山淳一を訪ねて来て、ロビーでしばらく話をしていたが、一緒に出掛けたのかどうかはわからないと言った。

 リュミエールの支配人と言えば、今日の午前中、田島真一のアパートに来た男だった。日高さんですかと聞くと、フロントの主任らしい女性はそうですと答えた。手遅れだったかと私は悔んだ。

 フロントから離れてロビーを見回していると、「ねえ、その日高っていう人が中山さんを連れ去ったの」と冬子が聞いた。

 私は日高が真一のアパートに来た事を冬子に教えた。

「それは大変だわ」と冬子は目を丸くした。「早く見つけなくちゃ」

「見つけなくちゃと言ったって、どこを見つけるんだ」

「もしかしたら帰って来て、この中のレストランにいるかもしれないわ」

 可能性は低いが、捜してみる価値はある。洋食やバイキング、和食に鉄板焼き、中華にイタリアンと高級レストランがいくつもあったが、どこにも淳一の姿はなかった。

「いないわ」と冬子は首を振った。「でも、ちょっと待って、その日高っていう人は真一さんがいなくなったのを知らなかったんでしょ。何かおかしいわ」

「いや、知らなかったとは限らない。真一さんは川上に手記の事は話したが、それがどこにあるのかは話していないんだろう。それで、日高は真一さんの部屋にあるかもしれないと捜しに来たのもしれない。しかし、俺たちがいたので諦めた。そしたら、川上から電話があって中山淳一が手記を持っていると聞いて、ここにやって来た」

「そうか‥‥‥どうしよう」と冬子は心配そうな顔をして私の顔を見た。

 私は首を振った。まったく地理に詳しくない沖縄で、日高と淳一がどこに行ったのか見つけ出すのは不可能だった。淳一が無事に帰って来る事を祈るしかなかった。

「ねえ、どこかで食事をしながら考えましょうよ」と冬子がエレベーターのボタンを押しながら言った。

「そうだな」と私はうなづいた。確かに腹が減っていた。

 エレベーターを降りると、「お父さんが帰っているか、ホテルに電話してみるわ」と冬子は携帯電話を出した。

「静斎さんは携帯電話を持っていないのか」と私は聞いた。

「持ってないのよ。あんな物に用はないってね」

 静斎はまだ帰っていなかった。

「豪華なディナーはお預けだな」と私は笑って、冬子と一緒に外に出た。

 ホテルの周りを車で一回りして、大きなショッピングセンターがあったので入ってみた。レストラン街に行き、冬子がピッツァを食べたいというので「マリノ」というイタリアン・レストランに入った。

 二つのピッツァを頼んだ後、「ワインも飲みたいわね」と冬子は言った。

「飲んでもいいぞ」と私は言った。「帰りは俺が運転するよ」

「いいわよ。一人で飲んだっておいしくないもの。ここでワインを買って行って、ホテルのお部屋で飲みましょ」

「そうだな。うまいワインを選んでくれ」

 私はタバコを出して火をつけた。最近は禁煙のレストランが増えて来て、食後の一服もできないが、このレストランには喫煙席があって助かった。

 私が吐く煙を眺めながら、「パリの女の人って結構、タバコを吸うのよ」と冬子が言った。

「へえ、相変わらずか」と私は灰皿を手元に持って来た。「俺が行ったのは、もう二十年近くも前だけど、その頃もタバコを吸う女性は多かったよ。君は吸わないのか」

「あたしは吸わないわ。そう言えば真一さんもタバコを吸うってみどりが言ってたわ」

「部屋にシーサーの灰皿があったな」

「あれはみどりが贈ったのよ。みどりの手作り灰皿らしいわ」

「へえ、そうだったのか」

「あたし、まだ真一さんに会ってないんだけど、みどりもよかったわ。いい人に巡り会えて。みどりって以外に理想が高いのよ。尊敬できる人がやっと見つかったのね。それなのに、こんな事になっちゃって‥‥‥」

「大学の頃は彼氏がいなかったのか」

 冬子はうなづいた。「でも、彼女、もてたのよ」

「わかるよ、可愛いからね」

「口説いたの」と冬子は私を睨んだ。

「振られたよ」

「嘘ばっかし」

 運ばれて来たピッツァは思っていた以上に大きくて、うまかった。

 食後のコーヒーを飲みながら、私はナハパレスに電話をした。中山淳一はまだ帰っていなかった。淳一の携帯電話は相変わらず通じなかった。冬子はスヴニールホテルに電話をしたが、静斎もまだ帰っていなかった。

「まったく、何をしてるのかしら」と冬子はぶつぶつ言った。「あたしの携帯を持たせるべきだったわ」

「今頃、陶芸家と楽しく飲んでいるんだろう」

「そうかもね。中山さんもリュミエールホテルの支配人とお酒を飲んでいるのかしら」

「そうだといいんだがな」

「大丈夫かしら。あの手記も持って行ったのかしら」

 私は首を振って、タバコに火をつけた。

「中山さんてカメラマンだったわよね。モデルさんたちにもてそうね」

「そうだな。タイプか」と私は冬子の目を見た。

 冬子は笑った。「いい男だけど、何となく陰があるような気がするわ」

「陰がある? そうかな。俺は典型的な金持ちのお坊ちゃんだと思ったけどな」

「時々、暗い顔つきをする事があるの。でも、そこがまた魅力なのかもね」

「奴のカメラに魂を奪われるなよ」

「あら、焼いてるの」

 私は笑って「ちょっとな」と答えた。

「どんな写真を撮ってるんだろう」

「結構、すごい写真を撮るのかもしれないよ」と私は思ってもいない事を言った。

「ねえ、本当に中山さんの身は危険なの」

「あの手記は危険だろう。川上伍長に敵対している者がいるとすれば、あの手記は大きな武器になるからね。人の手に渡る前に処分したいと思うんじゃないかな」

「買い取るのかしら」

「金で解決すればいいけど、解決しなければ」

「殺しちゃうの」

「そこまでするかどうかはわからないけど、真一さんと同じように行方不明になってしまうかもしれない」

「やっぱり、真一さんは川上伍長にさらわれたのね」

「瑠璃子さんは川上伍長は真一さんと会っていないと言ったけど、もしかしたら、日高が会って話を聞いたのかもしれない」

「川上伍長さんのお孫さんで、真一さんの大学の後輩がいるんだけど、彼が関わってるのかしら」

「大城秀義だろう。真一さんの妹さんに振られた男だ」

「そうなのよ。あたしはまだ会った事ないけど、スポーツカーを乗り回しているお坊ちゃんらしいわ」

「一度、会った方がよさそうだな」

「百恵さんだけどね」と冬子が笑いながら言った。「山口百恵が引退した日に生まれたんですって」

「それで百恵って名づけたのか」

「お父さんが百恵さんの大ファンだったらしいわ」

「成程ね」

 ホテルに戻ったのは八時を過ぎていた。中山淳一はまだ戻っていなかった。みどりに電話をすると食事もすんで、今から帰る所だという。九時頃には戻れるだろうとの事だった。みどりは川上の孫に当たる。孫に危害は加えないだろうと安心した。こっちも九時までに帰る事にして、それまでロビーで待つ事にした。

 冬子がパソコンを開いたので、私は気になっていたWBCの結果を聞いた。日本はメキシコに6対1で勝っていた。これで韓国が2勝0敗、アメリカと日本が1勝1敗、メキシコが0勝2敗となる。明日は日本対韓国の試合があり、日本はどうしても勝たなければならなかった。

 ニュースを見ると愛媛のホスト殺人事件は連続無差別殺人事件とは別件で、連続無差別殺人犯の行方は相変わらずわからず、九州にいるのか、あるいは沖縄に行った可能性もあると書いてあった。

 私は時計とホテルの入口を交互に(にら)んでいた。帰って来ないかもしれないと諦めかけていた頃、中山淳一は現れた。カメラマンベストではなく、青いウィンド・ブレーカーを着て、デイパックを右肩に掛けていた。サングラスも掛けていなかった。

 私は知らずに駆け寄っていた。

 淳一は驚いたような顔をして耳からイヤホンをはずすと「どうしたのですか」と聞いた。

「無事でしたか」と私はほっと溜息をついた。「日高さんと一緒だったと聞いて、中山さんの身が危ないと心配しましたよ」

「へえ、日高さんを御存じなのですか」と淳一は不思議そうな顔をして聞いた。耳からはずしたイヤホンからジャズが流れていた。

「今日、田島さんのアパートに行った時、訪ねて来ました。田島さんに頼みたい事があるそうです」

「そうでしたか」

「日高さんが訪ねて来たのは例の手記の事ですね」

 淳一はうなづいた。「どこで聞いたんだか知りませんが、手記の事を知っていて、是非、読ませてくれと言いましたよ」

「読ませたのですか」

「いえ、僕が読み終わるまで待ってくれと言いました」

「そしたら、待つと言ったのですか」

「ええ」と淳一はうなづいた。

「今までずっと日高さんと一緒だったのですか」

「えっ、違いますよ。日高さんとはここで話をしただけです。三十分もいなかったんじゃないですか。電話が掛かって来て、電話に出ると慌てて帰って行きましたよ。僕は首里城に行って来ました。田島さんからあそこに司令部壕があるって聞いたものですから、ちょっと見て来ようと思って行って来たんです」

「そうでしたか。首里城ですか。どうやら取り越し苦労だったみたいですね」

「僕が日高さんに何かされるとでも思っていたのですか」

「最悪の場合は田島さんのように行方不明になってしまうのではと」

 淳一は笑った。「それは大袈裟ですよ。そんな六十年も前の話で、どうにかされたらたまりませんよ」

「それでも気を付けて下さい。田島さんはその事で行方不明になったのかもしれませんから。それと何度も電話してるんですが通じませんでしたが」

「あっ」と淳一は言った。「充電したまま、すっかり忘れてました。日高さんに呼ばれて、そのまま出掛けてしまったものですから、部屋に置きっぱなしです」

 いつの間にか、冬子が私の隣に立っていた。

「よくある事です」と私は言った。「よろしければ、今後の予定を教えていただけないでしょうか」

「予定ですか。その時の気分で動いていますからはっきりとは言えませんが、明日は石垣島に行ってみようと思っています。三日位は向こうにいるかもしれません」

「石垣島ですか。いいですね。それではお気を付けて」

 淳一は頭を下げるとエレベーターの方に向かって行った。

「心配したのが馬鹿みたい。もう帰りましょ。今日は疲れたわ。早く帰って、さっき買ったワインを飲みましょ」

 私は冬子の顔を見た。

 冬子は意味もなく笑った。可愛い笑顔だった。

 私も笑って、「バモス」と言った。

「シー・セニョール」

 私たちはナハパレスを後にした。




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