~閉ざされた闇の中から~
31.インプロビゼーション
波照間島に着くと予約した民宿の車が待っていた。二人の女子大生と一人旅の若者と一緒に私たちはその車に乗って民宿に直行した。 和室の部屋に落ち着くと私は瑠璃子に電話をした。瑠璃子は出なかった。 「きっと、病院にいるのよ」と冬子が言った。「みどりを連れて真一さんの所にいるのよ。病院は携帯が使えないでしょ」 「そうだな」 「真一さんの事は後で聞けばいいわ。それより、暗くならないうちにやるべき事をやらなくちゃ」そう言って冬子は民宿のフロントでもらった波照間島の観光地図を眺めた。 「すっかり、探偵になっちまったな」と私は笑った。 「冬子、ダメだぞ」と静斎が強い口調で言った。「絵画きは絵を描いていればいいんじゃ」 静斎は持って来たバッグの中から 「日本最南端の地に行くんじゃろう。そこで一曲吹くんじゃよ」 「へえ、静斎さんが尺八を吹くとは知りませんでした」 「あたしも知らなかったわよ」と冬子も驚いた顔をしていた。 「しばらく忘れておったんじゃよ。久枝が亡くなって、荷物の整理をしていたら押入れから出て来たんじゃ。昔を思い出して吹いてみると心が落ち着いたんでな、ビーチハウスに持って行って、海辺でよく吹いていたんじゃ。沖縄の海で吹こうと思って持って来たんじゃよ」 「紀子さんのお母さんの影響で始めたの?」と冬子が聞いた。 「まあ、それもあるが、尺八を始めたのはヨーロッパ旅行の後じゃよ。向こうで道端で演奏している芸人たちを見てな、わしも楽器をやりたくなったんじゃ。何をやろうか迷ったんじゃが、わしの師匠の 静斎は尺八を口に当てると音を出した。 「尺八がよく似会いますよ」と私は思ったままの感想を言った。 「やっぱり、最初は『日本最南端の碑』を見に行きましょ」と冬子は言った。「デジカメを取られちゃったのは残念だわ。記念写真が撮れない」 「絵描きは写真に囚われちゃいかん。心の目に焼き付けておくんじゃ」と静斎は言った。 「そうね」と冬子は笑った。 民宿で自転車を借りて、私たちは最南端の地へと向かった。 自転車に乗るなんて何年振りだろう。青空の下、車も通らない道をのんびり走るのは気持ちよかった。山もなくて、ほとんとが平地で、あちこちにとぼけた顔したヤギが遊んでいる。時間が非常にゆっくりと流れているような気がした。 十分ちょっとで日本最南端の地に着いた。 女子大生らしい三人が記念写真を撮っていた。冬子が頼まれて写真を撮ってやった。女子大生たちは冬子にお礼を言うと自転車に乗ってどこかに行った。 『日本最南端之碑』と書かれた石碑は、子供の頃の直樹と優子の写真に写っていたのとまったく同じだった。あの写真は二十年以上も前に写したものだった。この石碑は風雨にさらされて二十年以上もここに建っている事になる。石碑は変わらずにあるが、この島は二十年前とは変わってしまったのだろうか。 静斎が海を眺めながら尺八を吹き始めた。 私と冬子は静斎の後ろ姿を見つめながら聴いていた。 何の曲だか知らないが、心に沁みて来る曲だった。海のように大きく、何もかも包み込んでしまうような壮大な曲のように感じられた。尺八一本でこんなにもすごい演奏ができるなんて、静斎という人間の偉大さを改めて思い知ったような気がした。 どの位の時が経っただろう。いつの間に来たのか、一人の男が積んである石の上に腰かけて静斎の曲を聴いていた。 私は冬子にその男の事を教えた。 冬子はその男を見た。冬子はびくっと震えた。 「あれ、彼じゃないの?」と冬子は小声で言った。 私はうなづいた。 その男は白のスーツを着ていて、白い野球帽をかぶり、黒いサングラスを掛けていた。髪の毛は那覇で会った時よりも長くなっている。かつらを被っているに違いない。顔つきを変えても、体格は変えられない。紛れもなく、あれは前田直樹だった。 静斎の曲が終わった。 しばらくして男が拍手をした。 私と冬子も拍手をした。 私はゆっくりと男に近づいた。冬子はついて来なかった。 男は逃げる事なく近づいて行く私の方を見ていた。 私たちの距離が一メートル程になった時、男はさわやかに笑って、「日向さんでしたね」と言った。 私はうなづいた。 「どうして、ここがわかったのですか」と直樹は落ち着いた声で聞いた。 「 「そうですか。あの家に行ったんですか。しかし、どうして、俺が前田だとわかったのです」 「あの家に行ったのは中山淳一があの家を訪ねたに違いないと思ったからです。前田さんが何かを知っているかもしれないと思って訪ねたら、あの家にあなたの写真があったというわけです」 「どうして、俺が中山じゃないってわかったんです」 「中山淳一は一月に捜索願が出されていました。その写真があなたとは別人だったのです」 直樹は苦笑した。「沖縄に来たら前田を名乗ればよかったな。そうすれば、手記の事を話さずにすんだんだ。田島に手記の事を話したのは失敗だった。奴がしつこく中山の 「私はその線であなたの家に行きましたが、警察は別の線であの家にたどり着きました。リュミエールホテルの会長、川上さんはあなたの家の住所を知っていました。どうして、リュミエールホテルで『前田』と名乗ったのですか」 直樹は足元を見てから顔を上げて微かに笑った。 「あれは調子に乗り過ぎたのかもしれません。祖父を殺したのが川上かも知れないと思ったものですから、試してみたくなったのです。川上の怯えたような反応を見て、祖父を殺したに違いないと確信しましたよ」 「それで、日高支配人と孫娘を殺したのか」 「孫娘はそうだが、日高は違う。奴はリュミエールで俺を見ている。中山で泊まっていたナハパレスに来て、前田と中山が同一人物だと知ってしまったんだ。生かしておくわけにはいかなかった。奴は俺が痛い目に遭わせたら自供しましたよ。俺の祖父ちゃんを殺して池田湖に突き落としたって、はっきりと言った。俺は石で殴り殺してやった」 「どうして、連続殺人なんかやったんだ」と私は本題に入った。 直樹は私を見上げて笑った。その笑いは殺人鬼を思わせる不気味な笑いだった。 「それは俺にも説明できないよ。強いて説明すれば、七歳の時に妹を殺したのが忘れられなかったからだろう」 「妹を殺したのか」 「殺すつもりはなかったんだ。ふざけていて、妹を水の中に沈めていたら死んじまったんだ。あの時、両親は俺を責めなかった。優子が溺れて、助けたけど間に合わなかったと言った俺の言葉を信じて、悲しみに暮れるだけだった。あの時、俺をもっと問い詰めていれば、俺は本当の事を言っていただろう。俺は本当の事を誰にも言えずに、ずっと、その事で苦しまなければならなかった。ずっと、苦しんでいたんだ‥‥‥初めてですよ。この事を 直樹は笑った。悲しそうな笑いだった。安堵の笑いのようでもあった。重い荷物を下ろして、ほっとしたような笑いだった。 「俺はあの時、死んだ優子を抱いて泣いていた。揺すっても何してもぐったりとした優子をずっと抱いていたんだ‥‥‥女を抱く度にあの時の記憶が 直樹は話をやめて海の方を眺めた。 静斎と冬子が私の後ろに立って、直樹を見ていた。 「去年の秋、両親の四十九日が終わった後、俺は気分転換をしようと霧島温泉に行ったんだ。その時、一人旅の女と出会って意気投合して一緒に旅をした。福岡から来たOLで、あゆみって名前のいい女だった。恋人と別れたばかりだって言っていた。いい雰囲気になって、車の中で俺たちは抱き合った。しかし、やっぱりダメだった。その時、その女は俺をさげすんだ目で見て、『あんた、いい体してるのに不能なの』と言って笑ったんだ。俺はかっとなって思わず、女の首を絞めてしまった。優子の時と同じで、殺す気なんてなかった。気がついたら、女はぐったりとしていたんだ。俺はどうしようと焦った。早く、死体を何とかしなくちゃと思いながら死体を見ていたら、むらむらって来たんだ。俺は女を裸にして抱いた。優子は現れなかった。俺は死体を抱いたんだ。はっと我に返って、車で山の中に入って行って、女の死体を谷底に投げ捨てた。服や荷物は別の所に捨てて帰って来た。びくびくしながら数日を過ごしたけど、女の死体が見つかったというニュースは流れなかった。よかったとほっとする半面、もう一度、死体を抱きたいという欲求が出て来た。死体なら優子が邪魔しない事がわかったからね。しかし、そんな事を実行に移す事はできなかった。俺は仕事を辞めて、指宿の実家に帰った。親の保険金が入ったんで、ジャズ喫茶をやろうと思ったんだ。あの家に行ったのなら知ってるだろうけど、 直樹は私を見て不気味に笑った。ポケットからマールボロを出してジッポーで火をつけ、うまそうに煙を吐いた。 「俺は中山淳一に成りすまして日本一周の旅に出た。最初からやり直そうと思って横浜まで行ったんだ。横浜でこいつを買ったんだよ」 直樹は帽子を脱いで、かつらをはずした。 「あいつの髪の毛がこんな感じだったんだ。日本一周の旅を始めようと思った時、俺は草津温泉の宣伝を見た。草津温泉は九州でも有名だから、温泉でのんびりしてから旅に出ようと思って草津温泉に行った。そこで一人旅のOLが引っ掛かった。恋人と喧嘩して一人で来たって言っていたよ。俺は殺して死体を抱いた。奴のキャンピングカーはよくできていて後ろの座席はベッドになるんだ。俺はそこで久し振りに女を抱いた」 直樹は冬子の方をちらっと見て、「ショートヘアーの美人だったよ」と言ってニヤリと笑った。 「勿体ない気がしたけど、死体は山の中に捨てた。あの時も雪が積もっていたから、まだ、雪の中にいるんだろう。罪の意識はなかった。殺人をしているのは前田ではなく中山だからね。そして、伊豆の山の中で東京の女子大生を殺して死体を抱いて、山の中に捨てた。伊豆の女はロングヘアーのむっちりした女だった。次は島根に行くまで、うまい具合に女は引っ掛からなかった。俺は考えて、車のサイドに『鈴木測量』と書いたんだ。作業着姿になって、念のために測量の機械も買ったんだよ。島根の女は小柄な美人だった。雨が降っていて、その女は田舎のバス停で一人しょんぼりとバスを待っていた。声を掛けたら、ちょっと考えたけど乗って来た。会社の看板をしょっていたんで安心したんだろう。殺して、死体を抱いたけど、わざわざかついで行って山の中に捨てるのが面倒くさくなってきた。俺は死体を林道のそばの木に座らせた格好で置いておいた。死体はすぐに見つかって大騒ぎになった。その頃、俺は山口県にいた。山口ではヒッチハイクの学生を車に乗せた。雪が降っていたから乗せてやったんだ。男なんか殺す気はなかったけど、奴が鹿児島にいる恋人の事ばかり話すんで憎らしくなって殺した。女ばかりを殺すより男も殺した方が警察の捜査をごまかせるとも思った。そのまま、九州に行くつもりだったけど、警察を混乱させるためにUターンして、鳥取で高校生を殺して抱いた。この 直樹は短くなったタバコを捨てて靴で踏みつけた。顔を上げると日本最南端の碑の方を見た。 私は彼が話を続けるのを待った。 「中山の祖父さんの手記を読んで、沖縄にはガマって呼ばれる洞窟がいっぱいある事を知って興味を持った。死体を隠すのに丁度いいと思ったんだ。沖縄に着いた次の日、俺は轟の壕に入ってみた。大きな壕だったけど、あそこは観光地化されているんで死体を隠すわけにはいかなかった。次の日は第一外科壕に行ってみた。入ろうとしたら中は泥が溜まっていて長靴でも履かないと無理だった。ここはダメだなと思ったけど、返って、人が入らないからいいかもしれないと思い直して入ってみる事にした。長靴を買って出直して来ると女子大生が一人、第一外科壕の中を覗いていた。話を聞くと祖父さんが陸軍病院に入院して、ひめゆり隊の女学生に世話になったと言うんだ。俺も祖父さんの事を話して、一緒に入ろうって事になった。彼女の長靴を買いに行って、二人で中に入った。中はひどいものだった。彼女は途中まで行ったら、もう戻ろうと言った。俺はあともう少し行ってみようと彼女を誘って、大きな岩があった所で彼女を殺して抱いたんだ。まったく、ひどい所だった。あんな所じゃなくて、別の場所に誘って抱けばよかったと後悔したよ。そして、外に出たら田島真一がいたんだ。俺が出て行くと田島はすぐに声を掛けて来た。俺は中山に成りすまして、中山の祖父さんの事を話したよ。田島は興味深そうに俺の話を聞いていて、自分の祖父さんの兄貴の話をし出した。例の手記に書いてあった田島上等兵の事だと思って、奴に手記の事を教えてやった。奴は喜んでいたよ。ずっと、中山を捜していたと言っていた。次の日、田島は俺が泊まっているホテルにやって来た。奴と戦争の話をして、昼飯を食べてから別れたけど、奴が見つけたというガマがどこにあるのか知りたくて、後を追ったんだ。田島は車の中で電話をしていた。俺もガマに連れて行ってくれと言ったら、いいだろう、一緒に行こうって言った。それで一緒に行ったんだよ。奴が見つけたガマはさとうきび畑の中に入口があった。入口と言っても二メートル近くの穴があいていて、ロープを伝わって下りなければならなかった。田島は持って来た鉄の杭を土に打って、それにロープを結んで下りて行った。俺も懐中電灯を持って従った。下りた所は崩れ落ちた岩や土が山のようになっていた。多分、そいつが崩れ落ちて、穴があいたんだろう。そこは通路のような所で右側にも左側にも行く事ができた。田島は両方を照らして、どっちに行くか迷っていたけど、『まず、こっちから調べよう』と言って右の方に行った。俺は黙って田島の後を追った。しばらく進むと下り坂になって広い所に出た。第一外科壕みたいに泥だらけじゃないし、なかなかいいガマだった。その広い所の真ん中辺りに三メートル位の穴があいていた。懐中電灯で照らすとその中もかなり広くなっているように見えた。田島はその広い所を一回りしてから先に進んだ。だんだんと狭くなって行って、先へは進めなくなった。岩と岩の間が三十センチ位あいていて、そこを通り抜ければ、さらに先へ行けそうだったけど、田島はその辺の岩を照らして見ながら、『危ないな。今回はやめておこう』と言って引き返した。広い所に戻るとまた穴の中を照らして、『ちょっと調べてみよう』と言って、また杭を打って、ロープで穴の中に下りて行った。俺も下りてみた。五メートル位下りたろうか。そこもかなり広かった。田島は戦争中の遺品はないかと色々と調べていた。遺品はなかったようだけど図面を書き始めた。俺は喉が渇いたから何かを買って来るって言って奴の車の鍵を借りたんだ。奴は疑う事もなく鍵を貸してくれたよ。俺はロープを伝わって上に上がるとロープを引き上げた。田島は下で、『ふざけるな、ロープを下ろせ』と怒鳴ったけど、俺は知らんぷりしてガマから出た。外に出たら雨が降っていた。奴のジープを全然違う場所に持って行って、タクシーでホテルに帰った。あのガマを死体置き場に使おうと決めたんだ。今までは一回抱いただけで山に捨てなければならなかった。あそこなら誰も知らないし、コレクションができるからね。ホテルの部屋に戻ったけど奴の事が気になった。水と食糧を買って、またガマに戻って、奴に差し入れしたよ。そうだ、ローソクも何本も入れてやったっけ。俺に隠れ家を教えてくれたご 直樹は膝の上に置いていたかつらを投げ捨てて、帽子をかぶった。 「次の日、俺は田島から聞いた川上のホテルに行った。俺はホテルのビーチに出て、祖父ちゃんがいつも歌っていた「 「川上さんの孫娘はどうやって連れ去ったんだ」と私は聞いた。 「あれは田島から貰った名刺を使ったんだ。旅行雑誌の記者になって孫娘の家の前で待っていて、おたくのホテルを紹介したいから取材に協力してくれって頼んだんだ。日高支配人の許可はもらっていると言ったら信じて、車の中に入って来た。車の中で殺して、田島がいるガマに連れて行って抱いたんだよ。今まではすぐに捨てなくちゃならなかったけど、あそこに置いておけば何度も抱ける。一晩中、可愛がってやったよ。美津子は可愛い女だった。あそこに何人も可愛い女を集める予定だったのに、次の日、第一外科壕の女が見つかってしまった。あんなにも早く見つかるなんて思ってもいなかった。あのガマは見つからないだろうと思ったけど、しばらくは近づかない方がいいと思って石垣島に行ったんだ」 「石垣島でも誰かを殺したのか」 直樹は首を振った。「そんな暇はなかったよ。石垣島のホテルで朝のニュースを見て驚いた。俺の写真までテレビに出るなんて思ってもいなかった。どうして、俺の事がわかったのか、俺にはさっぱりわからなかった。とにかく、早く逃げなければならないと、俺はすぐにホテルを抜け出して、波照間島行きの船に乗ったんだ。早く、石垣島から出なければならないと焦っていて、先の事を考えなかった」 「失敗した事はなかったのか」 直樹はニヤッと笑うと、「助手席に座ってしまえば失敗はしないさ」と自信たっぷりに言った。「シートベルトで動けないし、首を締めればいちころだよ」 直樹は右手を広げて隣にいる女を殺す真似をした。大きな手だった。あの手で女の細い首を締めれば確かに簡単に殺せるだろう。 「田島さんはどうして殺さなかったんだ」 直樹は少し考えてから、「俺の祖父ちゃんが奴の祖父さんを殺したからかもしれない」と言った。「奴はあのガマの場所を知ってるから、あそこから出すわけにはいかないけど、わざわざ殺す必要もないと思ったんだ。俺が直接殺さなくても、放っておいたら死んじまうだろう」 直樹はまた日本最南端の碑を見た。サングラスの下の目は見えないが、何かをじっと見つめているようだった。子供の頃の自分を見つめているのかもしれなかった。 「ここに来たのは妹との思い出の地だったからなのか」と私は聞いた。 直樹は顔を私の方に向けた。ポケットからタバコを出してくわえると火をつけた。煙を吐くと、「あの時以来、ここには来ていないんだ」と言った。 「俺はずっと優子から逃げていた。俺が女を抱こうとすると邪魔をする優子を憎んでいたんだ。でも、俺は死体を抱く事によって、優子から解放された。今ならここに来られると思ったんだよ」 「もう逃げられないぞ」と私は言った。 「わかっている」と直樹は言って、力なく笑った。「あまりにも有名になり過ぎちまったようだ」 直樹はタバコを踏みつけると急に立ち上がった。 「自首するのか」と私は心の中で身構えながら聞いた。 「今さら自首したって罪が軽くなるわけでもないだろう」 そう言うと直樹は素早く冬子を捕まえた。 あっという間だった。左手で冬子を抱え、右手で冬子の首を絞めている。冬子は苦しそうな顔をして、声も出ないようだった。 「この女を道連れにして死んでやるよ」 「冬子を放せ」と静斎が直樹の前に出て強い口調で言った。 「どけ!」と言って直樹は冬子を押さえたまま海の方に行こうとした。 「やめるんだ」と私は言った。何とかして冬子を助けなければならないと焦ったが成す 「どけ!」と直樹はまた言った。 静斎は苦しそうな顔をして仕方なく脇によけた。 その時、「いてっ!」と直樹が叫んだ。あっと思う間に直樹は投げ飛ばされていた。 「畜生!」と言って逃げようとした直樹の首を静斎の尺八が打った。直樹は崩れるようにして倒れ込んだ。 私はぽかんとして冬子を見ていた。 冬子は首を撫でながら私を見て、「一件落着ね」とかすれた声で言った。 |
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