沖縄の酔雲庵


摩利支天の風〜若き日の北条幻庵

井野酔雲



小田原北条家の長老と呼ばれた北条幻庵の若き日の物語です。
伊勢早雲の四男に生まれた菊寿丸は7歳の時に喝食として箱根権現に入れられます。そのまま僧侶になるはずでしたが、早雲は考えを変えて、15歳になった菊寿丸を修行の旅に出します。
早雲が菊寿丸の師に選んだのは愛洲移香斎でした。菊寿丸は移香斎に連れられて各地を旅しながら、見聞を広め、武術を身に付けて行きます。旅から帰った菊寿丸は山の中にある静かな村に連れて行かれます。そこは北条氏の陰の組織、風摩の拠点でした。
風の摩利支天を意味する風摩とは何なのか‥‥‥お楽しみ下さい。



摩利支天の風 若き日の北条幻庵 キンドル版



目次



1.調伏    海実僧正の一千日の祈祷が満願となった二日後の事だった。地が裂け、この世の終わりかと思える程の大地震が起こった。
2.韮山城    少年はやっとの思いで梯子を登ると櫓の上に立った。下では冷や冷やしながら侍女の七重が見守っていた。
3.箱根権現    七歳になった正月、菊寿丸の生活に変化が起こった。父親と風摩小太郎に連れて行かれた所は山の中の綺麗な湖の側にある箱根権現だった。
4.旅の空1    菊寿丸は山伏姿になって、父親からもらった小太刀を差し、金剛杖を突いて旅に出た。箱根権現で父親と別れ、愛洲太郎左衛門に連れられて沼津へと向かった。
5.旅の空2    飯道山は山頂近くにある飯道寺を中心に古くから山伏たちの修行道場として栄え、忍びの術の発祥の地としても有名だった。門前町は参詣客や山伏たちで賑わっていた。
6.風摩砦    太郎左衛門に連れて行かれた所は明神ケ岳の山中にある風摩砦と呼ばれている武術道場だった。道場には修行者の長屋が三軒あって、鵠鶴軒と呼ばれる長屋には女の修行者が入っていた。
7.風摩党1    太郎左衛門の家は山の中の小さな村の中にあった。敷地は広かったが、そこらにある農家とまったく同じだった。こんな所に住んでいるなんて、もう隠居してしまったのだろうかと菊寿丸は思った。
8.風摩党2    江戸を後にした菊寿丸と風雷坊は扇谷上杉修理大夫のいる河越城下に寄り、さらに北上して、管領の山内上杉四郎のいる鉢形城に向かった。
9.風摩党3 菊寿丸は鞍作りの職人として古河の城下に滞在していた。公方が鎌倉から古河に移ってから、すでに五十年以上の時が経ち、古河は関東の都となっていた。
10.三浦攻め    三浦道寸が江戸城に向かったとの報が入ると、待ってましたと早雲は岡崎城攻撃の命を下した。すでに、岡崎城下に集結していた風摩党は城下を混乱させた。
11.桔梗1    静かな風ケ谷村で、菊寿丸は午前中は連歌と茶の湯の修行をし、午後は四番組の砦に通って武術の修行をする毎日が続いていた。
12.桔梗2    菊寿丸は風摩小太郎と一緒に玉縄城近くの山中にある風摩党の砦に向かった。四番組の砦であった。粗末な小屋の中に入ると頼もしい顔触れが並んでいた。
13.小机城    永正十四年の正月、菊寿丸は伊勢三郎長綱と名乗り、妻の桔梗と一緒に、伊勢家の家臣たちに披露された。そして、次の日、新しい家臣を引き連れ、小机城を攻め取るために出陣した。
14.江戸城    大永二年の正月、新九郎は本拠地を韮山城から小田原城に移し、城の拡張工事を始めた。城下にある鶴森明神も新たに再建し、別当の杉之坊に大和の国、大峯山で修行を積んでいた風摩小太郎の弟、玉滝坊が入った。








摩利支天の風の創作ノート

1登場人物一覧 2北条幻庵の年表 3韮山屋形の図 4愛洲移香斎の年表 5海実僧正の略歴 6飯道山 7風摩砦(武術道場)の図 8風ヶ谷村の図 9三浦道寸の略歴 10幻の茄子 11小机城下の図 12江戸城 13「神奈川県史」より 14「埼玉県史」より




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