酔雲庵


国定忠次外伝・嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)

井野酔雲





7.境宿の絹市




 境宿の絹糸市は朝早くから賑やかだった。荷物を積んだ馬や荷車が続々と境宿を目指して四方から集まって来た。

 昨日の昼頃から降っていた雨も夜中にはやんで、今日は風もない、いい天気だった。

 久次郎は朝まだ暗いうちから、市場の開かれる中町にある荒物屋『土屋』に隠れて、魚屋の伸吉が来るのを待っていた。

 土屋は宿場の中央に立つ高札場(こうさつば)の少し西側にあり、隣には御領主様である伊勢崎の酒井家の御用達(ごようたし)を務めている質屋『佐野屋』があった。以前、佐野屋の離れでも賭場が開かれ、伊三郎が仕切っていた。しかし、佐野屋の隠居は先代の百々一家の親分と親しいので、伊三郎としても居心地が悪く、手を引いて、今は賭場を開いていなかった。

 境宿の大通りは道幅が八間(はちけん)(約十五メートル)もあり、露店がずらりと並んでも通行の妨げになるような事はなかった。境の絹糸は質がいいとの評判で、近江(おうみ)商人や江戸の大店の商人たちも絹糸を買いにやって来た。勿論、絹糸だけを売っているのではない。日用雑貨から農具に至るまで、あらゆる物を売っていた。不流(ふりゅう)一家の香具師(やし)たちも様々な露店を出していた。

 各地から集まって来た者たちが店の準備をしている中、揃いの半纏(はんてん)を着て、六尺棒を持った伊三郎の子分たちが目を光らせながらウロウロしていた。大金を手にした客人を下町にある桐屋と大黒屋の賭場に案内するのと騒ぎが起きないように見回るのも縄張りを守る渡世人(とせいにん)たちの仕事だった。店を開く場所の割り振りについて騒ぎが起こる事が多く、市場に支障が起きないように静めなければならない。ただし、場所の割り振りに関しては香具師の領分で博奕打ちが口出しする事はできなかった。口出しができないからといって放っておくわけにはいかない。境宿をすべて縄張り内に組み込もうと(たくら)んでいる伊三郎は少しでも境宿の人々の歓心を買わなければならなかった。

 境宿は中町と下町が伊三郎の縄張りで、上町だけが忠次の縄張りだった。普段はそれ程でもないが、市場の開かれる日は互いに警戒を強め、用もないのに縄張りを越えて来る者は容赦なく追い払っていた。久次郎は伊三郎の子分たちとつまらない争いを避けるため、土屋に隠れていたのだった。

 六つ半(午前七時)頃、伸吉は川魚をかついでやって来た。お政たちに見つかり、土屋に連れて来られた。久次郎がお常の事を聞くと、予想は外れ、伸吉は何も知らなかった。

 お常がいなくなった事を知ったのが昨日だという。伸吉の家は中瀬の外れ、利根川の下流の方で、新八と貞利の二人もそんな所まで捜しには行かなかった。昨日の昼前、伊三郎の子分たちが利根川の河原を捜し回り、その時、初めて、お常がいなくなった事を知って驚いた。詳しい事情を聞きたかったが相手にされず、今日、境に行ったら、お常の友達から詳しく聞こうと思っていたという。

 久次郎は伸吉の反応を見ながら、詳しい事情を話してやった。伸吉はそうですか、そうですかと言いながら話を聞き、自分も疑われていた事を知ると目を丸くして驚いた。

 伸吉は市場の外れ、丁度、村田屋の前辺りに店を開いて魚を売っていた。何となく元気がなく、持って来た魚をいつもより安くたたき売ると昼の四つ(午前十時)頃には力のない足取りで帰って行った。お政たちがこっそりと後を追った。しばらくして帰って来たお政に聞くと伸吉は下町の居酒屋に寄って、一人で酒を飲んでいるという。

「あの人じゃないわよ」とお政は言った。

「絶対、違うわよ」とお美奈も言った。「あんな情けない男に会うために、お常ちゃんが中瀬まで行くはずないもの。あんな男にくっついてたら境小町の名が泣くわ」

 銭屋のお美奈は見かけはおとなしそうに見えるが、明けっ広げな性格で、言いたい事は遠慮なく何でも口にする娘だった。

「そうね、嘘を言ってるようじゃなかったものね。あの人じゃないわ」と言ったのは『島屋』の娘のお栄。あの後、民五郎とはうまく行っているらしい。民五郎の事を話す時の口振りから民五郎を嫌いではないようだ。

 昼過ぎになると市場の取り引きもすべて終わって、ほとんどの者たちが散って行った。香具師も店仕舞いを始め、銭を手にした者たちはニコニコしながら料理屋に行って、うまい物を食べたり、賭場に顔を出して、さらに稼ぎを増やそうと夢見ている。ウロウロしていた伊三郎の子分たちも消えた。下町の桐屋か大黒屋で休んでいるのだろう。

「畜生め、くたびれ儲けだったな」と久次郎はお政たちに苦笑しながら腰を上げた。

「ねえ、あれ、何かしら」とおちまが通りの向こうを指さした。

 この店の娘、おちまは小柄で何もかも小さかったが、うまくまとまっていて可愛らしい。研師の音吉といい仲で、(はす)向かいにある太物屋の娘、おゆみの恋敵(こいがたき)だった。

 おちまが指さす方を見ると真向かいにある煙草屋と右隣にある絵師、金井研香(けんこう)の家の間に(むしろ)にくるまれた何かが置いてある。あちこちにゴミが散らかっているので、よく見なければ気づかないが、その筵は何かがくるんであるように見えた。

「誰かの忘れ物ね」とお政が言った。

「きっと、絹糸よ。あんなとこ置いといたら盗まれちゃうわ」と言うなり、お美奈は筵の所に飛んで行った。

「おい、ちょっと待て」と久次郎は止めたが、おちまもお栄も飛び出して行った。

「どうしたの」とお政が久次郎の顔を見た。

「中身は長脇差(ながどす)に違えねえ」と久次郎はお政に言った。

「長脇差?」

「誰が何の目的があって、あんなとこに隠したか知らねえが、ありゃア長脇差に違えねえ」

 久次郎も店から出て、通りを眺めた。さっきまでの喧噪が嘘のように、いつもの宿場に戻っていた。高札場の回りで、子供たちが追いかけっこをして遊んでいる。

「キャー!」とお美奈たちの悲鳴が響いた。

 久次郎が三人を見ると娘たちは顔を背けるようにして筵を指さしていた。悲鳴を聞いて近所の者たちが何事かと顔を出した。

 久次郎は娘たちに近づくと筵を見た。筵の間から、白い足の裏が覗いていた。

 そんな馬鹿な、と筵を開いてみると根元から切られた足が転がり出て来た。切り口には血の混ざった塩が固まり、半ば腐っているのか異臭を放っている。

「キャー!」と久次郎の後ろから覗いていたお政が悲鳴を上げた。

 おちまが口を押さえながら家の方に帰って行った。

 久次郎は鼻をつまむと切られた足をよく観察した。変色し変形もしているが女の左足に間違いない。何かで打たれたのか、ミミズ脹れのような傷が何本もあり、足首を縛られていたのか縄の跡が残っていた。

 悲鳴を聞いて、やじ馬たちが集まって来た。女たちの悲鳴が何度も響き、下町で休んでいた伊三郎の子分たちもやって来た。

「どいた、どいた」と人をかき分け、転がっている左足を眺め、「何でえ、こりゃア」と言ったきり、しばらく、声が出ないようだったが、久次郎に気づくと、「おめえは百々一家の野郎だな。何で、こんなとこにいやがるんでえ」と怒鳴った。

「ちょっとな」

「ちょっと、何でえ」

随憲(ずいけん)先生に用があったんだ」と久次郎はとっさにごまかした。

「ほう、おめえっちの親分がかさっかき(梅毒)にでもなったんか」

 子分どもがゲラゲラ笑った。

「何だと」

「ほう、やる気か」

「いや‥‥‥」久次郎は必死に我慢した。

「こそこそと客引きなんかしてんじゃねえ。痛え目に会いてえんか」

 子分の一人が久次郎の胸倉をつかみ、他の者たちが睨みながら、久次郎を囲んだ。

「おい、やめるんだ」と彦六がやって来た。「てめえら、何やってやがるんだ。堅気の衆が見てんだぞ。つまらねえ喧嘩(けんか)なんかしてる場合か。さっさとその足を番屋に持って行け」

「しかし、兄貴、こいつは百々一家の」

「いいから、さっさと行け」

 子分たちに足を運ばせると彦六は久次郎から事情を聞き、発見者のお美奈とお栄とお政を丁寧に下町の丁切(ちょうぎり)の側にある番屋に連れて行かせた。

「おい」と彦六が久次郎を睨んだ。「おめえがお常を捜し回ってたってえのは聞いてるぜ。余計な事に口出ししねえで俺たちに任せておけ。十手(じって)もねえくせに余計な事をしてると今に痛え目に会うぜ。おい、わかったな」

 久次郎は何も言わなかった。

「わかったら、さっさと帰れ」彦六は上町の方を指さした。

 久次郎は逆らわずにその場を離れ、百々村に帰ると、忠次に女の左足が発見された事を告げた。

「何だと、そいつは本当にお常の足なのかい」

「まだ、そこまでは‥‥‥でも、多分」

「まったく、ひでえ事をしやがる。お常の死体(してえ)が境から出て来たとなると、こいつアえれえ騒ぎになるぞ。八州の旦那もやって来るに違えねえ。何てえこった。おい、つまらねえ騒ぎは起こすなよ」

「へい」

 久次郎は境宿に戻ると上町の料理屋、伊勢屋に行って、事の成り行きを見守った。伊三郎の子分たちが中町をウロウロしていた。やじ馬が多すぎて、何をやっているのかわからなかったが、お政たちがちょくちょくやって来て、事の成り行きを教えてくれた。

 大黒屋の代貸、彦六と桐屋の代貸、助次郎が中心になって、子分たちに死体の残りを捜させていた。左足が見つかった中町を中心に捜し回ったが何も見つからず、捜索範囲を境宿全体に広げた。

 助次郎が子分を引き連れて上町にやって来た。伊勢屋に顔を出し、代貸の三ツ木の文蔵に手出しをするなと言うと、上町の家々を片っ端から捜し始めた。

「くそったれが」と文蔵は怒りに震えていた。

「兄貴、親分が騒ぎを起こすなと」

「わかってらア。あの裏切り者め、伊三郎の威を笠に着やがって」

 助次郎は以前、百々一家の代貸だったが裏切り、伊三郎の子分になっていた。助次郎が何人もの子分を引き連れて寝返ったため、境宿の縄張りを伊三郎に奪われてしまったのだった。

「おい、久、奴らが素人衆に下手な真似をしねえか、よーく見張ってろ」

「へい」

「何かあったらすぐに知らせるんだぜ」

 文蔵は足音も荒く賭場の方に戻って行った。

 助次郎は町役人たちを伴って一軒一軒、不審な物がないか捜し回った。しかし、上町からは何も出て来なかった。

 お政が息を切らせながら駈け込んで来たのは、左足が見つかってから半時(はんとき)(一時間)程経ってからだった。

「右手が見つかったわ」

「どこだ」

 お政は胸を押さえながら下町の方を指さした。右手が見つかったのはお政の家の近くの空き地で、左足と同じように筵にくるまれた右手が塀の側に置いてあった。二の腕に小さな古傷があり、その傷が決め手となって、お常の右手だと身内の者たちに確認された。

「畜生、そんなとこから出てきやがったか」

「あたし、もう、びっくりしたわ。だって、うちの側なんだもの。あんなとこに捨てらてたなんて‥‥‥」

「そいつがいつからそこにあったんか、わかったのか」

「わからないわ。木戸番の人に聞いたけど、出入りが激しくて、空き地の事なんかわからないって。それに、あそこでオシッコをする人が結構いるのよ。現にお常ちゃんの右手もオシッコで濡れてたらしいわ」

「殺されて、バラバラにされて、小便までかけられたんじゃ、お常も可哀想すぎるな」

「可哀想なんてもんじゃないわ。お常ちゃんをこんな目に会わせた奴は八つ裂きにしても足らないくらいよ。もう、絶対に許せない」

「その右腕を見たか」

 お政は首を振った。「あたしたちには見せてくれないわ。でも、小五郎さんの話だと手首を縛られてたような傷があったって言ってたわ。お常ちゃん、殺される前に縛られてたんだわ。可哀想に、恐ろしい目に会ってから殺されたのよ」

「そうか‥‥‥左足の方はどうなんだ。いつからあそこにあったのかわかったのか」

「そっちもわからないの。彦六さんが近所の人たちに聞いて回ってたけど、はっきりした事はわからないみたい。朝からあったような気もするし、賑わってた市の最中に誰かが置いたのか、よくわからないみたい」

「昨日はなかったんだな」

「店の人の話だと、昨日、店を閉める時は確かになかったって」

 お政は身震いをすると、やりきれないといった顔をして下町の方に帰って行った。

 次に見つかったのは生首だった。下町の諏訪明神の境内の片隅に麻袋に入った生首が転がっていた。その顔はお常に間違いなかったが、かつての美しさは微塵(みじん)もなく、あまりにも無残だった。境小町と呼ばれたお常だとは信じられない程、恐ろしく、醜い顔だった。髪はボサボサで、両目は飛び出し、歯を剥き出して、今にも悲鳴が聞こえて来そうな恐怖に脅えた表情だった。

 生首が見つかった後、伊三郎が貞利を連れて境宿にやって来た。中瀬の信三と用心棒の永井兵庫も一緒だった。貞利は伊三郎と一緒に番屋に入って、発見された左足、右手、生首を見る事ができた。お政は貞利から話を聞いて、久次郎に知らせた。

 それから、しばらくの間、何も見つからなかった。久次郎は伊勢屋の片隅でお茶をすすりながら、一体、誰がこんな事をしたのか、じっと考えていた。

 死体をバラバラにして、あちこちに捨てるなんて正気の沙汰とは思えねえ。お常を殺した奴は気違えだったのか‥‥‥

 下手人は二通り考えられた。例のしんさんだった場合と、しんさんじゃねえ場合だ。

 しんさんがお常を殺した場合、七日の昼頃、中瀬の土手で待ち合わせして、どっかの隠れ家にお常を連れて行った。待てよ、しんさんとお常が一緒にいるのを見た者はいねえ。となると、お常は河原の掘っ建て小屋で別の着物に着替えたってえ事も考えられる。着物を変えて、頭巾で顔を隠して隠れ家に行ったんかもしれねえ。素っ裸になって、すべてを着替えるってなアおかしいが、なかったとは言えねえ。お常も面白がって、全部、着替えたんかもしれねえ。いや、小屋ん中で別の着物に着替えたにしろ、小屋ん中に着物を置いて行くってなア不自然だ。汚れちまうし盗まれるかもしれねえ。持って行くに決まってる。やはり、着物はしんさんが後から、あそこに持ってったに違えねえ。

 お常は隠れ家で殺された。しんさんは殺すつもりはなかったんかもしれねえ。いや、両手両足を縛ったってえ事ア最初(はな)っから殺す気だったんだんべえ。お常を殺しちまったしんさんは死体の処分に困った。新八と貞利がお常を探し回ってる。しんさんは新八と貞利の目をそらせるため、お常の着物を例の小屋に隠した。しんさんの思惑通り、お常捜しは利根川に集中した。その隙に、しんさんはお常をバラバラにして境宿まで運んで、賑わってる市場に捨てたんだんべえか‥‥‥

 しんさんじゃねえ場合、土手に一人っきりでいるお常を見つけた下手人はお常を掘っ建て小屋に連れ込んで、手籠めにして殺す。着物を脱がせて、お常の死体をどっかに運ぶ。いや、下手人はそん時、殺さなかったに違えねえ。殺したとすりゃア、そのまま、利根川に流しちまうだんべ。死体をわざわざ、どっかに運ぶ馬鹿はいねえ。下手人は例の小屋で、お常を手籠めにするが殺さず、着物を脱がせて隠すと、裸にしたお常をどっかに連れ去った。きっと、下手人は舟で連れ去ったに違えねえ。

 そうだ、舟だ。舟を使ったに違えねえと久次郎は思わず手を打った。もしかしたら、下手人は渡し舟に乗って中瀬に向かうお常の姿を舟の上から見たのかもしれねえ。その後、土手に一人でいるお常を見つけ、舟を河原に付けて陸に上がり、気絶させたお常を舟でどこかに運び去ったに違えねえ。お常をさらった下手人はお常をどこかに閉じ込め、両手両足を縛って、何度も手籠めにして、ついには殺しちまい、バラバラにして境宿に捨てた。

 しかし、どうして、下手人はお常の着物を小屋ん中に置いてったんだんべ。着物をあそこに隠しゃア、お常がそこにいたってえ証拠になっちまう。自分が不利になる事を何でわざわざ、やったんだんべ。下手人はお常を捜してる者たちをからかって遊んでんのか。

 それと、中瀬で殺したお常をバラバラにして境宿に捨てたのもわからねえ。境宿にお常のうちがあるから、わざわざ、中瀬から運んだのか。やはり、利根川筋を捜し回ってる伊三郎をからかって喜んでるんだんべえか。

「見つかったわ」とお政がやって来た。

 生首が見つかった諏訪明神の庫裏(くり)の裏から麻袋に包まれた胴体が見つかった。生首が見つかった時、境内をくまなく捜したのに見つからなかったのは、炭俵(すみだわら)の中に紛れ込んでいたので見落としてしまったのだという。

 首も両手も両足もない胴体は傷だらけだった。二つの乳房はえぐられてパックリと口を開け、背中にはミミズ脹れが何本もあった。番屋に運ばれた胴体に首と右手と左足が付けられた。当然、切り口は一致し、すべてがお常のものだった。

 胴体が見つかった頃、利根川を捜索していた新八が伊三郎の子分たちと一緒にやって来た。新八は番屋に入って、お常の死体を見たが、真っ青な顔をして出て来たという。

 お政が下町の方に行くと久次郎はまた考えた。

 やがて、着物の謎は解けた。着物が発見されて捜索されるのは利根川の下流だ。上流が捜索される事はねえ。下手人は着物を小屋に隠して、お常を上流に連れてったに違えねえ。伊三郎の子分たちがお常を捜し回ってるのを上流から眺めて笑ってたのかもしれねえ。

 もう一つの謎、どうして、境に捨てたのかはどう考えてもわからなかった。危険を冒して、こんなとこまで運ぶより、どっかに埋めた方が手っ取り早え。それをしねえで、わざわざ、境まで運んだってえ事は、下手人はお常を捜してた者たちをあざ笑ってるとしか考えられねえ。もしかしたら、今も、ここにいて、死体が発見されるのをニヤニヤしながら見守ってるのかもしれねえ。

 久次郎は急に通りに飛び出すと辺りを眺めた。町の者たちがあちこちに固まってヒソヒソ話をしていた。あちこちからやって来たやじ馬たちも何人かで固まって、事の成り行きを見守っている。不審な奴はいないかと眺め回したが、やじ馬の数が多すぎて見つからなかった。伊三郎さえいなかったら、自分の手で下手人を捜し出す事ができるのに何もできないのが辛かった。

 夕方になって、中町の外れにある石屋の庭に積んであった石の陰から筵に包まれた右足が発見された。日が暮れると、伊三郎たちはその日の捜索を中止して引き上げて行った。

 久次郎は冷めたお茶をすすりながら、お政の話を聞いていた。

「明日には左手も見つかるだんべ」

「殺されてから、切られたのかしら」とお政が疲れ切ったような顔をして言った。

「生きたまま切られたとしたら残酷すぎる」

「でも、お常ちゃんの顔、苦しみに歪んでたって言ってたわ。まともに見る事もできないくらい恐ろしい顔してたって」

「そうか‥‥‥ひでえ事をしやがる」

「恐ろしいわね。お常ちゃんがあんな風になっちゃうなんて‥‥‥この前、会った時、あんなに綺麗だったのに‥‥‥」

「綺麗だったか‥‥‥お常は女から見てもいい女だったのか」

「派手で目立ちたがりだったけど綺麗だったのは事実よ。去年のお祭りん時、音吉つぁんがお芝居に出たの知ってるでしょ」

「見たかったけどな、賭場にいたからな」

「そのお芝居の後、音吉つぁんがお常ちゃんを誘って一緒に踊ったのよ。音吉つぁんは成田屋(市川団十郎)そっくりでしょ。お常ちゃんは半四郎のようだって評判だったのよ」

「成田屋に半四郎か‥‥‥俺ア江戸の芝居(しべえ)は見た事もねえが半四郎の演じる女はたまんねえって言うからな。お常も男たちから見りゃアたまんなかったんだんべえな。下手人の奴もお常を独占したくて殺しちまったんかな」

「そんな。心中するならわかるけど、あんな(むご)い殺し方するなんて異常だわ。絶対に許せない。ねえ、もしかしたら、お常ちゃんを殺した人は、この近くにいるんじゃないの」

「いるかもしれねえ」

「怖いわ」とお政は言って、辺りを見回した。

「一人で出歩かねえ方がいいぞ。おめえも境小町に選ばれたかもしれねえんだ。次に狙われるかもしれねえ。村田屋のおたかも危ねえ。決して、一人で遠くに行ったりするなよ。第二のお常になるかもしれねえ」

「やだ、脅かさないでよ」

「いや、下手人は気違えだ。味をしめてまたやるかもしれねえ。いいか、どっかに行かなきゃならねえ時は俺に声を掛けろ。俺が絶対におめえを守る」

「ほんと?」とお政は久次郎を見つめた。

 久次郎もお政を見つめてうなづいた。「おめえをお常みてえにされてたまるか」

「ありがとう」

「お常の(かたき)は必ず討ってやる。絶対に下手人を捕めえてやる」

 久次郎はお政を家まで送り届けると百々村に帰った。半ば(かす)んだ不気味な月が久次郎を見下ろしていた。






嗚呼美女六斬の創作ノート

1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧




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