酔雲庵


国定忠次外伝・嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)

井野酔雲





4.お通と孝吉




 四月の十日に降り始めた雨は五月になってもやまなかった。夏になるどころか、日毎に寒くなって、(あわせ)を脱ぐ事もできない。あちこちで土砂崩れが起こり、利根川の水は増水していた。このまま降り続いたら、氾濫(はんらん)する恐れが出て来た。

 五月の七日、市日のため、境宿に来ていた久次郎は次の日、円蔵と共に鹿安と桶松を連れて、利根川に面した平塚や広瀬川に面した中島を見回った。幸いに土手が崩れている箇所はなかったが危険な状態にあった。平塚の代貸、助八と中島の代貸、為次に充分な注意を与え、境に戻って来たのは日暮れ近くだった。

 おりんの店に行き、ずぶ濡れの着物を着替えて一杯やっていると、「大変だ!」と血相を変えた浅次郎が飛び込んで来た。店の中を見回して、久次郎がいるのに気づくと、「兄貴、丁度、よかった。早く来てくだせえ」と叫んだ。

「おい、何、慌ててんだ。落ち着いて話せ」

「へい、お通がいなくなっちまったって翁屋で騒いでんですよ」

「お通が? 孝吉んとこじゃねえのか」

「へい、多分。不流一家の連中が長脇差(ながどす)をぶち込んで、平塚に飛んでったそうです。俺は見なかったんだけど、孝吉の野郎を殺してやるって血相を変えて飛び出してったらしい。孝吉の奴、半殺しにされるかもしれねえって噂ですよ」

「奴は不流一家と問題を起こしてたのか」

「いえ。孝吉んちに行っても、お通は日が暮れる前には必ず帰って来てたんで問題なかったようです。しかし、不流一家ん中にも、お通に惚れてる奴は結構いて、孝吉の存在を苦々(にがにが)しく思ってるようです。そいつらが孝吉をたたきのめしてやるべえと飛び出してったみてえです」

「孝吉はうちの(もん)じゃねえが、黙ってるわけにも行くめえ」久次郎は円蔵を見て、「軍師、どうしますか」と聞いた。

「そうだな、うちの者がわざわざ出向いたって事になると後で面倒だ。たまたま、通りがかったような顔して様子を見た方がいいな。お互えの言い分を聞いて、うまくやってくれ」

「わかりやした」

 久次郎は鹿安と桶松を連れて、平塚に向かった。

 雨の中、孝吉の家はシーンとしていた。

「孝吉はいなかったんじゃアねえんですか」と鹿安が小声で言った。

「いや、明かりが漏れてる」

 久次郎は入り口で声を掛けた。

 家の中で物音がして、やがて、「誰だ」と誰かが言った。孝吉の声ではなかった。

「俺だ、久次郎だ。話がある」

「孝吉はいねえ。出直して来るんだな」

「おめえは誰でえ」

「誰でもいい。さっさと帰れ」

「孝吉が留守なんに人んちに(へえ)ってるってえ事ア、てめえは盗っ人だな」

「違う。さっさと帰れってえのがわからねえのか」

「久次郎って言ったな」と別の声が言った。「百々一家の久次郎かい」

「そうだ。今は国定一家だがな」

 入り口が開いて、不流一家の藤次が顔を出した。久次郎を見て、後ろにいる鹿安と桶松を見て、回りを見回してから、「おめえさんに見てもらうんがいいかもしれねえ」と藤次は久次郎に言った。「隠せる事じゃアねえからな」

「何を見るってえんだ」

 家の中に入ると青白い顔をした不流一家の若い者たちが五人、長脇差に手をかけて久次郎たちを睨んでいた。

「まあ、上がって見りゃアわかる」と藤次は言った。

 手前の部屋には食い散らかした店屋物(てんやもの)があるだけだった。奥の部屋を見て、「あっ!」と声を挙げたのは鹿安だった。

 孝吉が血だらけになって死んでいる。首から胸に掛けて一刀のもとに斬られていた。かなりの血が吹き出したとみえて、障子から天井までも血で染まっていた。

 久次郎は藤次を見た。「おめえがやったのか」

 藤次は首を振って、青白い顔で震えている若造を見た。「あっと言う間だった。止められなかったんだ」

「何で殺しちまったんだ」

「とにかく、こいつを見てくれ」

 藤次に連れられて、久次郎は裏に立つ蔵まで行った。

「蔵がどうかしたんかい。中には何もねえはずだぜ」

「ところが、とんでもねえ物があるんだ」

 藤次が戸を開けると、むせ返るような異様な臭いが漂って来た。この前のカビ臭さとは全く違う臭いだった。藤次が持って来た提灯を久次郎に渡した。久次郎が提灯で蔵の中を照らすと、そこには地獄絵が再現されていた。

 お通の生首がこちらを向いて置いてあり、血の海の中にバラバラにされた死体が転がっている。

「おい、こいつアどういうこった」と久次郎は藤次に聞いた。

「そんな事ア知るか。こっちが聞きてえくれえだ」

 久次郎は気を落ち着けて、強烈な血の臭いを避けるために手拭いで鼻と口を覆い、改めて、お通の死体を調べた。

 顔は眠っているかのように目を閉じ、口を少し開けて、白い歯が見える。(まげ)もそれ程、くずれてはいない。両手両足を付け根から切られた胴体には、左胸に刃物で刺されたらしい深い傷があるだけで、ミミズ腫れや擦り傷はなかった。両手両足にも傷はなく、縛られた跡もなかった。辺り一面、血だらけで、ここでバラバラにしたに違いない。脱がされた着物が散らかって、血だらけの(おの)匕首(あいくち)が隅の方に落ちていた。

 ハッと思って、左手の小指を見ると、やはりない。捜してみたがどこにも見当たらなかった。

 久次郎は桶松を貞利の家に走らせ、藤次から詳しい話を聞いた。

 お通が家を出たのは昼過ぎだった。いつもなら夕方には帰るのに帰って来ない。たまたま、お通の家に顔を出した三郎太がお通がまだ帰らない事を知り、萩原村に帰って藤次に知らせた。調子に乗っている孝吉を懲らしめてやろうと藤次は若い者を何人か引き連れて平塚に向かった。

 孝吉は家にいたが、お通の姿はなかった。途中ですれ違わなかったので、必ず、どこかに隠しているに違いないと家捜しをしたが見つからない。蔵の中に隠したに違いないと蔵を開けてみたら、お通のバラバラ死体があった。カッとなった三郎太が長脇差を抜いて、孝吉を斬ってしまったという。

「どうするつもりなんだ。あいつを逃がすのか」と久次郎は三郎太を見ながら藤次に聞いた。

「いや、そうも行かねえ。逃がしたとなると八州の旦那に睨まれる。そうなると仕事がやりづらくなるんでな、三郎太には捕まってもらわなけりゃならねえ」

「奴は覚悟を決めたのか」

「ああ、わかってくれた」

「そんなら問題(もんでえ)はねえ。お通を殺した下手人を斬ったんだから死罪にはなるめえ」

「俺もそう言って納得させた」

「村役人には知らせたのか」

「いや、まだだ」

「そうか。もうすぐ、平塚の先生が来る。役人に知らせるんは先生に見てもらってからでもいいだんべ」

 貞利が来て、厳しい顔付きで、お通の死体を調べた。

「先生、こいつはどういうわけなんだ。孝吉がお通をバラバラにしたってえ事は、お関をやったのも孝吉だったってえ事ですか」久次郎は提灯で死体を照らしながら聞いた。

「うーむ。こんな事になるとは‥‥‥」貞利は久次郎と同じように、お通の体に傷があるかどうかを調べていた。

「しかし、お関ん時とは違う」と久次郎は言った。「胸を一突きで殺してからバラバラにしたようだ」

「確かにな」と貞利はうなづいた後、自分の提灯で隅の方を照らしながら蔵の中を見回した。「お通の顔は苦しんじゃアいねえようだ。どうやら、孝吉はお通を抱いている最中に胸を一突きしたようだな」

「やっぱり、そうでしたか」と久次郎は納得したようにうなづいた。

「どうして殺しちまったのかわからねえが、殺した後、ここでバラバラにしたんだろう」

「どうして、殺した後にバラバラにしたんですかね」

「そいつはわからねえな。俺の本の真似をしたわけでもあるめえ。もしかしたら、バラバラにして利根川に捨てるつもりだったのかもしれねえな」

「そうか。きっと、そうに違えねえですよ。バラバラにすりゃア捨てるのも簡単だ。そうだ、先生、お通の小指がねえんですよ。どこにやったんだんべえ」

「なに、ほんとか」と貞利はお通の左手を見た。

「一応、捜してみたけど、どこにもありませんでした」と久次郎は言った。

「うーむ。わからねえな」

 とりあえず、村役人を呼んで、事件のあらましを説明すると後の事を頼んで、久次郎たちは貞利の家に向かった。鹿安と桶松を境に帰すと久次郎と貞利は改めて、今回の事件を整理した。

 孝吉がお通をバラバラにしたという事は、お関を殺したのも孝吉だったのかもしれないという可能性が出て来た。玉村の女郎殺しは仙太郎に間違いないが、お関殺しの証拠は見つかっていない。二人はもう一度、孝吉の行動を洗ってみた。

 お関が謎の女に連れ去られた三月四日、孝吉は九つ(正午)頃、起きて、九つ半(午後一時)頃、鶴屋で昼飯を食っている。その時、徳次郎らと出会って中島の賭場に行き、八つ半(三時)頃、家に帰り、七つ(四時)頃、お奈々と会っている。

「昼頃まで寝てたと言ってるが、お北の着物を着て、お関を誘い出す事はできる。孝吉は背もそれほど高くはねえし、痩せてるんで、女に化けてもわからねえ。なにしろ、お北の弟だから面影も似ている。誘い出したお関をあの蔵に閉じ込めて、鶴屋に昼飯を食いに行ったんだろう。その後、お北に扮して中島の方に行こうと思ったが、徳次郎と会ってしまったんで、仕方なく、中島の賭場に行った。早めに引き上げて帰って来ると再び、お北の格好をして中島方面に行き、お関の着物を着て木崎方面に行き、元の姿に戻って家に帰ると一安心してお奈々と会ったという所だろうな」

 次に、バラバラにしたお関の死体をお万に頼んだ時も、孝吉は昼頃まで寝ていたと言っていた。

 お万が謎の女から、お関の死体を渡されたのが四つ(午前十時)頃で、その後、深谷まで駕籠に乗って行き、どこかで着替えて戻って来ても、昼過ぎには帰って来られる。

「決まりだな。孝吉の仕業に間違えねえ」と貞利は力強く、うなづいた。

「奴が下手人だったとは‥‥‥」

「孝吉は島村の親分に命じられて、残酷な事をやって来たから、そん時の事が忘れられなくなっちまったんかな。それとも、お北の弟だから残酷な事を好むのか‥‥‥」

「しかし、お関とお通は殺し方が違えますよ」と久次郎は言った。「お関の顔は苦痛に歪んでたけど、お通の顔はそんな風じゃなかった。孝吉に抱かれて、気持ちいいってな顔してましたよ」

「うむ、そうだったな。もしかしたら、お関殺しの事がお通にばれて、とっさに殺しちまったのかもしれねえぞ」

「何とかごまかして、お通を抱いたが、いつかばれるかもしれねえと心配になって、殺しちまったんだな」

「多分、そんなとこだろう」

「畜生め、お関が殺された後、俺はあの蔵ん中を見せてもらったんだ。あん時、もっとよく調べりゃア、お関を殺した跡とかわかったかもしれねえ。あん時、奴は何となく、落ち着きがなかった。あそこで、お関をバラバラにしたんがばれるのを恐れてたに違えねえ」

「久次さんはあの蔵を調べたのか」と貞利はちょっと驚いた顔で聞いた。

「先生んちの蔵で伊三郎がお北を責めたって聞いた後だったんで気になって調べたんですよ。畜生め、後の祭りだ。もうちっと早く調べてりゃア、お関を助けられたのに」

「あん時は謎の女ばかり追ってたから仕方ねえさ。奴が女に化けてたなんて思いもしなかったからな。そうだ、もしかしたら、謎の女が着てた着物が孝吉んちにあるかもしれねえ」

「そうか、あれはお北の着物に違えねえ。そいつが出て来りゃア間違えなく孝吉の仕業だ。行って調べますか」

「いや、慌てる事アねえだろう。明日、役人立ち会いのもとで調べりゃいい」

「必ず、出て来るぜ。これで決まりだ。しかし、お関殺しが孝吉の仕業だったら、仙太郎の奴はどうして、自分がやったと自白したんだんべ」

「一人殺しても二人殺しても同じだと思ったんだろう。仙太郎が七小町を狙ってたんは事実だ。自分が捕まっても、お関を殺した者が捕まらなけりゃ、次々に小町が殺される。それを願ってたんかもしれねえ。自分と同じ考えを持つ者がいる事に喜びを感じてたんかもしれねえ。仲間意識というか、仲間を助けるために自分を犠牲にして満足してたんだろう。それに、仙太郎は俺の艶本になる事を夢見ていた。どうせ、本になるなら、一人だけを殺すより二人の方がいいと思ったんだろうな」

「奴が本当の事を言ってりゃア、お通は助かったかもしれねえのに」

 こんな夜は酒でも飲まなければやりきれないと貞利は酒の用意をした。久次郎も手伝った。二人は雨の音を聞きながら、囲炉裏(いろり)を囲んで、黙って酒を酌み交わした。

 四つ(十時)を回った頃、木崎の左三郎が貞利を訪ねてやって来た。

 左三郎は木崎一家の代貸で、八州様の道案内を務める十手持ちだった。年の頃は三十の半ば、以前は吉十郎と言っていたが、去年、八州の旦那、吉田左五郎の伜を養子に迎えて、名を左三郎に改めている。それを笠に着て、あくどい事をしているとの評判もあった。

「先生の力を借りに来ましたよ」と左三郎は手拭いで泥だらけの足を拭くと囲炉裏端に上がって来た。「まったく、腹の立つ雨だ」

「随分と早いお出ましですね」貞利は左三郎に酒の入った湯飲みを渡した。

「おお、こいつはすまねえ。まったく、五月だってえのに、この寒さはどうなってんでえ。村役人の手に負えねえってんで、知らせて来やがった。生憎、木崎に八州の旦那が来ていてな、ひとっ走り行って様子を見て来いって言われたのよ。この雨ん中を、まったく、やんなっちまうぜ」

「御苦労さんです。旦那も来てるんですか」

「いや、旦那は明日だ」と左三郎は言って、久次郎をじろりと見た。「おめえさんは確か、百々一家の久次とか言ったっけな」

「へい」と久次郎は頭を下げた。

「おめえさんが先生と一緒に、今回の事件を追ってたのは聞いてるぜ。一つ、成り行きってえのを話しちゃアくれねえか。今、蔵ん中の無残な死体を見て来たがひでえもんだ。俺が睨んだ所、孝吉の奴はお通とお楽しみの最中、乳を刺したようだな」

 貞利はお関がいなくなってから、今日までのいきさつを左三郎に話して聞かせた。

 次の日、左三郎と共に孝吉の家に戻った久次郎と貞利は家中を捜し回った。例の着物と江戸紫のおこそ頭巾が見つかり、孝吉が謎の女に化けた事は確認されたが、お通の小指もお関の小指も見つける事はできなかった。






嗚呼美女六斬の創作ノート

1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧




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