沖縄の酔雲庵

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記

井野酔雲

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記 キンドル版


 天明3年(1783)旧暦の7月、群馬県と長野県の県境にある浅間山が大噴火を起こしました。
 大量の火山灰を吹き上げて、軽井沢では2メートルもの灰や焼石が積もって家々は潰れ、江戸でも昼間に提燈が必要な程、暗くなったそうです。
 北麓の鎌原村は一瞬のうちに火砕流にのまれてしまい、500人近くの村人が亡くなりました。このような大惨事を二度と繰り返さないようにと願い、当時の資料をもとに当時の状況をできるだけ忠実に再現してみました。



鎌原観音堂




目次




1.四月八日   今日は浅間山の山開き。市太、勘治、惣八の三人は嘘をついて馴染み女郎のいる追分宿へと下りて来た。

2.四月九日   宿場の若い者が「火の用心、火の用心」と叫びながら走り行く。「浅間焼けだア〜」と誰かが叫んだ。

3.四月十三日   観音堂の若衆小屋で、市太、惣八、安治は芝居の稽古に飽きて、ゴロゴロしていた。

4.四月十六日   山守の爺さんは市太、惣八、勘治をちゃんと座らせ、六十年前の浅間焼けから延々と話し始めた。

5.五月十二日   五月に入ると、いよいよ芝居の稽古も本格的になり、立ち稽古が始まった。

6.五月十九日   大行燈に照らされて、この世の者とは思えない美しい女たちが艶やかな着物をまとって座っていた。

7.五月二十五日   畑に出ていた村人たちは立っている事もできず、地にひれ伏しながら不安そうに浅間山を見上げた。

8.五月二十六日   揺れる石段を這うようにして登り、浅間山を見ると、そこには信じられない光景があった。

9.五月二十七日   そのまま治まるかに見えた浅間の噴火は、次の日の夕方、またもや、大音響と共に大揺れした。

10.六月一日   おろくの父親が怪我をしてから、市太は毎晩のように見舞いに行って、おろくと会っていた。

11.六月六日   大笹宿の六斎市は、近在は勿論の事、信州からも商人たちが訪れて来て賑わっていた。

12.六月八日   市太は諏訪の森をじっと見つめていたが、月を見上げると、おろくの家へと足を向けた。

13.六月九日   いがみの権太の衣装ができたので、市太は惣八を誘って、小道具を見に八兵衛の家に向かっていた。

14.六月十三日   朝から小雨が降っているのに、大笹から武家荷物が次々に送られて来て大忙しだった。

15.六月十七日   地面の揺れは治まらず、これ幸いと市太はおろくの肩を抱き寄せ、恋の道行きと洒落る。

16.六月二十日   突然、家が大揺れしたと思ったら、霰でも降って来たかと思うほど、屋根の音がうるさくなった。

17.六月二十一日   市太はおろくを抱き上げると若衆小屋の中に入って行った。

18.六月二十三日   芝居の稽古も終わり、勘治、安治、仙之助、おさやとおみやもやって来て、鉄蔵の送別会が始まった。

19.六月二十四日   おゆくに連れられて裏にある若衆小屋に行くと、小屋の中に錦渓がいた。

20.六月二十七日   浅間山が唸り続け、紀州熊野の山伏、永泉坊が今朝から観音堂で祈祷を始めた。

21.六月二十八日   浅間山はゴーゴー唸り、大地の揺れは続いている。おまけに空から砂が降って来た。

22.六月二十九日   慌てて身を伏せて浅間山を見ると、黒煙は勢いよく天高くまで昇りつめ、時折、火柱が立っていた。

23.七月一日   突然、大音響と共にグラッと揺れた。浅間山を見ると黒煙の中に稲光が走っていた。

24.七月四日   草津でも雷のような音が響き渡り、夜になると客たちは浅間焼けの火柱を眺めに出掛けて行くという。

25.七月五日   まるで、花火のように火が空に飛び散って、火口辺りは真っ赤に燃えていた。

26.七月六日   呆れる程の物凄い量の黒煙が東の方に棚引いている。軽井沢方面の空は真っ暗だ。

27.七月七日   山頂付近は真っ赤に燃え、天に向かって勢いよく吹き出す黒煙から火の玉が四方に次々に飛び出している。

28.七月八日   ゴーゴーという唸り声とパチパチと何かが弾けるような異様な音が響き渡り、ドスーンと何かが当たった‥‥

29.七月九日   山裾の原生林はすっかり土砂に埋まって、所々に倒れた大木が転がり、焼石からは煙が立ち昇っていた。

30.七月十三日   閉じ込められて五日が過ぎ、水ばかり飲んでいた生存者は皆、病人のようになっていた。

31.七月十四日   太い木の幹は好き勝手な格好で埋まっている。こんな物がよく流れて来たと呆れる程の大きな岩がゴロゴロ‥‥

32.七月十五日   庭に大釜を出して女衆が炊き出しをしていた。仮普請の小屋の中には年寄りや子供たちが疲れきった顔‥‥

33.七月十六日   市太は焼け石に埋まった村を眺めながら、ここに村を作るなんて不可能だと思っていた。

34.七月十九日   半兵衛は毎日、鎌原村に通っていた。雨が降っていた昨日も一人で出掛けて、村の再建の事を考えていた。

35.七月二十二日   名主の妻だったおさよは干俣村の父親の屋敷の縁側に座って、ぼうっと庭の池を眺めていた。

36.七月二十三日   資材運びは続いていた。女たちは大笹の若い者たちのために昼飯の支度が忙しかった。

37.七月二十五日   今日はお諏訪様の祭りだった。本来なら諏訪明神の参道に露店がズラリと並び、笛や太鼓が鳴り響き‥‥

38.十月二十四日   あれから百日も経ったのに、まともな家に住む事もできねえのかと村人の心はバラバラになってしまい‥‥



  ※日付は旧暦です。







鎌原村大変日記の創作ノート

1主要登場人物 2追分宿の図 3鎌原村の図 4江戸の図 5吉原の図 6年表 7浅間山噴火史 8浅間山噴火史料集 9群馬県史 10軽井沢三宿と食売女 11田沼意次の時代 12平賀源内 13歌舞伎役者 14狂言作者と脚本 15鎌原村の出来事 16鎌原村の家族構成




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